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宣伝することに対する億劫さ

2021年11月21日(日) くもり
2ヶ月ぶりのカウンセリング。今年に入って精神状態はわりと安定していて、整理したいことも少なくなっていたのでカウンセリングの回数を減らしていた。しかし、このスキマの2ヶ月はなんだか不調だ。特にこれといった問題は起きていないはずだけど、停滞感というか、モヤモヤした感じが続いている。半分は季節の変化、陽が当たらなくて寒いことが原因な気はしている。

この2ヶ月で一番のトピックは、アルバム「34」がようやく配信されたことだ。度重なる審査を無事通過して、自分の作品に誰でもアクセスできるようになった。それ自体は喜ばしいことだが、一番の課題はそれを宣伝することに対する億劫さだ。
モノを作るのとモノを売るのはまったく別のことで、それを一人でやるのは無理があることだと思っている。少なくとも俺は苦しい。しかし、そう思えるようになったのもつい最近のことで、以前は、宣伝も自分で「やらなきゃいけない」と思っていた。それがインディーズバンドの宿命というか、宣伝方法込みでアティテュードが試されていると思っていた。ライヴを企画したり、Tシャツを作ったり、ホームページを作ったり、そういった戦略もバンド活動の一部なのだと納得していた。始めのうちはまぁそれはそれで楽しいところもあったが、次第にルーティーンと化して、「そういうものだから」という義務感でこなすようになっていった。その結果、2013年、俺は音楽を全然楽しめなくなっていたし、バンド活動を早く辞めたかった。そして辞めた。

子どもの頃、ドラゴンボールのおまけが欲しくてポテトチップスを買っていた。音楽はいまやポテトチップスのようなものだと思うこともある。どうやったら売れるか、客を集められるか、YouTubeの再生回数が伸びるか。苦手だからこそそのことについて戦略を練らなければならない。それも含めて楽しめるなら何も問題はないが、俺はうまく割り切れなかった。どこまでが自分の願望で、どこまでが刷り込まれた欲望なのかわからなかった。作って演奏して、それだけで最高だったらそれでいい。しかし、本音の本音はただの負け惜しみなのではないか、と自分を疑ったりもする。

2013年にベルリンペンギンレコードというバンドでアルバムを作った。タイトルは「晩年」。太宰治の処女作品集から引用した。これが最後の作品になるつもりで初めての作品を発表する。おおげさに聞こえるかもしれないが、そうでも思わないと動けなかった。辞めるのなら最後に何かカタチくらい残しておきたい。それだけが動機だった。
プロのエンジニアに依頼し、3日間かけてレコーディングスタジオで録音した。写真とデザインは友人に頼んで、CDを1,000枚プレスした。流通会社を通して全国のCDショップで購入できるようにしてもらって、都内の店舗には足を運んでフライヤーを配った。ドメインを取得してホームページを作った。レコ発記念ライヴを企画して、演奏した。
いま振り返っても、それは自分の音楽を広めるためのアクションではなかった。「できることをすべてやったのか?」と、誰かから問い詰められないためのアリバイ作りに過ぎなかった。やるべきことはすべてやった。これで安心して辞められる。ライヴが終わったとき、そう思った。

あれからもう10年近くが経とうとしている。俺は楽しくなかった音楽を楽しめるようになって、辞めたかったバンドをもう一度組むためにドラマーを探している。そして懲りずにまた新しいアルバムを作った。自分で演奏して、録音して、ジャケットをデザインして、配信した。友人の助けもしっかりと借りている。問題は宣伝だが、Twitterで呟くくらいなら俺にもできる。というか、今はそれで精一杯という感じだ。それでも、いくつかのリアクションをもらえて嬉しかった。派手な数字ではなくとも、かけがえのないことだと感じる。
作って演奏して最高なら、俺はそれだけをやりたい。まずは自分の喜びのために。そして、俺が勝手に思い浮かべている誰かのために。できることなら届くべき人には届いてほしいと願っている。そのために、少しくらいの努力ならしてみるつもりだ。

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