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アルバム配信延期

2021年10月1日(金) 雨
今日から10月。あいにくの雨で低気圧。耐えるように過ごしている。思えば、9月なんてあっただろうか?という気がしてくる。花火も祭りもない8月がぬるっと終わって、いつのまにか9月だった。セミも鳴くタイミングを失っていたようだ。例年より早く香ったキンモクセイはひとときの夢のようだった。もう香らないのだろうか。鎌倉八幡宮の彼岸花も見逃してしまった。あ、中秋の名月は晴れていて綺麗だった。

アルバムの配信が延期になった。昨年のアルバムが10月17日発表だったので同じ日付がわかりやすくていいやと思っていたのだけど、さっきズキくんから連絡が来て、審査にひっかかってしまったとのことだった。再審査を通って早ければ10月24日に配信されるけれど、おそらく再々審査になるかと思う。こういった予期せぬ不具合は強いストレスなので、ズキくんに代行してもらったことでまた助かったと思う。自分自身で手続きしていたら、思い通りにいかないことに怒り狂ったあとで鬱になっていたと思う。この低気圧を仕方ないとやり過ごせなかった。しかし、ズキくんは力を貸してくれているし、俺は俺のできることをやろう、という気持ちでいる。具体的には、歌詞を変更して録音し直す、ということだ。

審査にひっかかったのは歌詞だった。『特定の人物名が歌詞に含まれております。こういった類の音楽配信は権利侵害のおそれがあり、権利者から訴訟が起こる可能性がございます』とのこと。訴訟が起こるくらい広く聴いてもらいたいものだ、と思うが。たしかに言われてみれば、ご健在の方も含めて6人の名前が歌詞に入っていた。検索可能性の高い世の中で、トラブルの要因を少しでも減らそうとするのは当然のことだろう。
ふざけんな。検閲で俺の表現を変更されてたまるか。という抵抗の気持ちが瞬間的に湧きあがったことは確かだったが、そういえば電気グルーヴも「人間大統領」の歌詞を変更していたな、なんてエピソードを思い出したりして少し冷静になった。まぁ、歌詞を変えたなら変えたで、そこに新しい意味合いが生まれるおもしろさもあるのかもしれない。法の目をかいくぐって、何かに服従したふりをして見せるのもありかもしれない。なんにせよ、止まらないことだ。ふてくされている暇がない。

計画が台無しになるとき、怒りや悲しみ、無力感や喪失感に苛まれることはある。これまでもたくさんあった。しかし、振り返ってみると、そのたびに何かから自由になっているはずなのだ。何か、とは『自分はこうあるべき』『これが幸福である』といった信念であったり、『自分の人生は自分でコントロールできる』という妄想だろう。しかし実際には、その信念は自分の可能性を押し留め続ける。その妄想は他人を支配する暗い動機を呼び起こす。いったい何の話だっけ?

この文章をここまで読んでくださった方は、10月中に配信されるアルバムを聴いてください。遅くても年内には間に合うはずです。もし来年までズレこんだらズレこんだで、そのときは何か新しい意味があるってことでそれを楽しんでください。少なくとも音源はすでに友人に渡しているので、俺が死んでも何かしらのかたちで発表されると信じています。

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