見出し画像

松任谷由実の思い出

子どもの頃はいつも21時には眠っていたからドラマなんてまったく観たこともなかったんだけど、おやすみなさいって言ってリビングを離れるときにTVから流れていた『Hello, my friend』はなんだか切なくて良い曲だなって思った。それがなんのドラマだったかも知らないし、大人が恋愛している姿なんてまだ見てはいけないもののように感じていて、逃げるようにして布団にもぐったけれど。

小学6年生のとき、俺は夏の終わりまで不登校だったからおそらく卒業遠足の帰りだと思うけれど、みんなで貸し切りバスに乗っていた。そのときに同級生の柳川さん、もしくは柳沢さんみたいな名前の女の子がカラオケで『リフレインが叫んでる』を歌っていたのが妙に印象に残っている。担任の下瀬先生が、「大人っぽくてびっくりしちゃったよ!」と笑っていたことまでセットで思い出せるのは、俺も先生と同じようにその大人っぽさに戸惑ったからかもしれない。

20代半ば、俺はタワーレコードで働いていて、そのときに『日本の恋と、ユーミンと。』という3枚組のベストアルバムが発売された。家族連れが多かったその店では売り上げを支えるロングセラー商品だったので、よく店内のBGMで流していた。1枚のCDにつき、レジに入っているスタッフがそのときどきで4曲くらい選ぶことになっていて、俺は『ANNIVERSARY』という曲が特別に好きだったからいつもそれを外さなかった。盛り上がりに欠けるから宣伝としてはあまりふさわしくなかったと思うけれど、その曲が流れているあいだだけは別の空間にいるような、静かな気持ちになれた。松任谷由実をはっきりと好きになったのはその頃だったと思う。

2019年4月7日、横浜アリーナで松任谷由実のコンサートを観た。チケットぴあの案内か何かで当日券が売っていることを知って、思い立ってその日に観に行った。当日券で松任谷由実を観られるなんて贅沢だと思った。横浜で観られるなんて贅沢だと思った。追加席だから見えにくい場所ではあったけれど、ステージからも近くて嬉しかった。
意外だったのはセットリストで、45周年記念のツアーだからシングル曲ばかりやるのだろうと思っていたら半分以上が知らない曲だった。その前年に、『ユーミンからの、恋のうた。』というベストアルバムが発売されていて、その収録曲が中心になっていたみたいだ。だけどこれはシングル集というよりも、ファンだけが知っている隠れた名曲集みたいなコンセプトだったし、その頃にはもうタワーレコードも辞めていたから全然聴いてなかった。それでも、初めて聴いて好きになった曲もいくつかあったし、抑えるところはちゃんと抑えるという絶妙なバランスで、松任谷由実の懐の広さを感じられた。長いキャリアのなかで毎年のように新しいアルバムを発表し続けていること、そして、アルバムに収録されたどの曲もいつかまた演奏される可能性があるということ。現役なんだ、とあらためて思った。ただ懐かしむだけのものじゃないんだって。

そのコンサートを観に行ったのと同じ春。俺が新しく働き始めた職場ではFM Yokohamaが流しっぱなしになっていて、ある日にかかったのが『海を見ていた午後』という曲だった。ちょうどツアーの時期だったから宣伝も兼ねていたのかもしれない。荒井由実時代のこの曲のことはよく知らなかった。何食わぬ顔で仕事をしながら俺はそれを聴いていたのだけど、”ソーダ水の中を貨物船が通る”という部分にさしかかると、0歳から100歳までの少女がぐわーっと目の前を駆け抜けていくのが見えた。
2019年4月7日の横浜アリーナ。アンコールが終わって客電がついた。終演のアナウンスが響くなかで一部の観客は出口に向かって歩き始めていたけれど、会場ではずっと拍手が鳴りやまなかった。周りの様子を見ながら俺もそろそろ帰ろうと思っていたらもう一度大きな歓声が上がって、俺の席からは見えないステージのどこかに松任谷由実が戻ってきたのだとわかった。興奮した。そして、そのあと武部聡志と二人きりで演奏されたのが『海を見ていた午後』だった。
どこまでが決められたことだったんだろう。どこからが奇跡的なことだったんだろう。気になってあとで調べると、『海を見ていた午後』は他の会場では演奏されていないみたいだった。本当のアンコールだったんだ、と思って俺は感動した。それは、「諦めるのはまだ早いよ。もっと想像を超えることが待ってるよ」って、言ってもらったような気持ちになったんだよね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?