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ADHDと診断された時の話。自分の弱点を知ることは、悪いことばかりではない。


ADHDが判明したのはアルバイトを始めたときであった。

家電量販店で働いたとき、棚から物を探すことに非常に苦労した。

昔から他人の顔も覚えにくかったし、周囲に助けられてばかりの人生であった。

これは他の人と比較しても明らかにそうだった。


「これは変だ」と思い、書籍・インターネットを調べ、ADHDという障害を知った。


ADHDを診断できる病院は限られているので、役所でADHDを診断できる病院を聞いた。

最初は渋られた。ADHDを診断できる病院は少なく、どこも予約を取るのが困難な状態だからだ。

しかし「私は困っている」ということを役所の方に伝えたら、伝わった。


病院での診断

予約まで時間がかかったが、私は予約をすることにした。

いくつかのテストと問診を経て、私は医師からADHDと診断された。

正直、幼少期から「他人となにか違う」といった違和感はあったので、この結果は予想通りである。


ADHDは障害である。自分が障害であると認めなければいけなかった。

一生治らない病気なので、絶望感はあった。

挫折経験と言ってもいいかもしれない。


しかし、人生は早いうちに絶望した方が得である。

重要なのはそこから、どう立ち上がるかである。


立ち上がった経験は、長い人生の中でいずれ役立つ。

そして挫折から何度でも立ち上がった経験で、人は成長する。

絶望は、結果的にあなたの人生を豊かにするのである。


私は、診断を受けて「自分の人生の制約が明らかになった」と考えた。

つまり「自分ができないこと」を知ったのである。


自分が健常者だったら、できることの選択肢は無数にある。

いわゆる自由な状態だ。


ただ自由すぎる状態が、常に幸せとは限らない。

人間は「決断疲れ」をしてしまう人間である。そして後悔を、ひたすらに嫌う人間である。

だから人生で重要なことは先延ばしにしてしまう。やりたくもないことを、いつまでもダラダラと続けてしまう。



人は恵まれない環境にいるときほど、自分ができることに気づける。


たとえ他人より選択肢が少なくとも、気にしてはいけない。

そもそも人生は自分に配られたカードでプレイするゲームだからである。


限られた制約の中で、自分のできることを考えれば良いだけだ。


思い返せば、私は周りに与えられてばかりの人生だった。

幸いなことに、私はプログラミングという小学生の頃からやっていた技術があった。

プログラミングでなにか周囲に還元できることはないかと、考え出した。


こうして、私の人生の指針は決まった。


私は、自分の数少ない「持っている能力」を「周囲に還元する」人生にしようと決めたのである。

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