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あんただってそうだろ エセ関西弁強襲

最近周囲でもSNS上でも「エセ関西弁」がはびこりまくっていて、誰も気付かない異常事態と化しているんじゃないかと危惧している。
エセ関西弁に対しての嫌悪感てのは俺の世代の関東人は割と共有していた気がするんだけど、最近は皆あの時の嫌悪感を忘れてしまってるんじゃないだろうか。

周囲の人間のLINEやTwitterやらインスタやらはもう「〜やんw」「やけどw」は「じゃん」「だけど」に完全に代替されているし、たまの会社の飲み会なんかで若い奴らの話を聞いてると「〜やて!」「〜やし!」の応酬だ。
俺はドラマで関東人俳優が使う関西弁すら寒気がしてしまうのに、最近は職場でもカフェでも電車でも、もうエセ関西弁にまみれていて心底辟易する。

なぁ、あんただってそうだろ?

この怪現象は何なのだろうと思うけど、多分やっぱりテレビやYouTubeの影響なんだろうか。
考えてみれば俺だって昔は少なからずテレビの言い回しや言い方みたいなものを真似していた気がする。

でも俺はこのエセ関西弁旋風で怖いのは「おもしろ強制力」みたいな空気ができてしまうことだ。
昔バラエティ番組で大御所タレントがちょっとふざけた発言をして周囲がガヤガヤしていると司会者が

「ちょっと待って!ちょっと待って!」

と流れを止めて

「先輩やけどこれだけ言わせて…ドツきますよ?」

と壮大(に見える)なツッコミで爆笑が起こる。みたいな流れを目にした記憶が強く残っている。
ちなみにこの司会者はこの流れを鉄板にしているのか
「ドツきますよ?」を「シバきますよ?」「アホですよね?」に変えてアレンジしていた。まぁ一応場は盛り上がっている風にはなっていた。
でも俺はここに「おもしろ強制力」を強く感じた。

「爆笑」とは書いたけど、「爆笑風の雰囲気を作った」と書き換えてく。
だってツッコミする前に「ちょっと待って!ちょっと待って!」でたっぷり間をとったら、笑うしかないよな。しかも司会者がやるんだからこれはもう…。俺は嫌悪感を超えた恐ろしさを感じた

でももっと恐ろしかったのは、これを実際の飲み会でやる奴が現れたことだ。
もちろんテレビの流れを踏襲した愚行だが、芸人司会者がやってもたいして笑えないのに一般人がやればそれは惨事を引き起こしかねない。
当然のことながらその場ははっきりとコンマ数秒「ヤバい」雰囲気が流れた。
何とも言えないあの謎の空気。あのヤバさは何だろうか
お笑いIQがいくつだろうが、男だろうが女だろうが、陽キャだろうが陰キャだろうが、誰でもあの時のヤバさは察知する。
そのヤバさを吹き消すにはもう、「笑う」しかないのだ。
笑うことで俺達はそのヤバさをかき消し、無かったことにして、安心する。
言った本人の得意顔にはもはや愛おしさすら感じる。
「良かった、あいつまだ生きてる…」そんな気持ちだ。
いや、ここに関しては「いやお前生きてるやん!」と思い切りエセ関西弁を飛ばしてもいいかもしれない。

今のエセ関西弁旋風はおそらくそんなヤバさを孕んでいる。
誰かにツッコむ時、ちょっとした笑いが欲しい時、あるいは笑いを挟んだ方が良いと感じる時、エセ関西弁誰もがインスタントにエセ関西弁を使う。
関東人という事は置いておいて、エセ関西弁への嫌悪感を置いておいて。
なんとなく、ちょっと笑わないといけない「おもしろ強制力」がその場に流れる。
「面白い事言いました感」「面白いツッコミしました感」。
言った内容や的を射た感ではなく、そんな雰囲気に対して笑うようなコミュニケーションが少しずつ生まれている気がしていて俺は怖い。

「マジで」「〜っすよ!」という、よく考えると今でも意味がわからない言葉が出てきた時、先代の大人(おっさんおばさん)達も俺のような気持ちになっていたのかもしれない。
そう考えると俺も明日から身の振り方を考える瀬戸際に来ているのかもしれない。

時代の変化ってのはほんまに、怖いもんやな。

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