見出し画像

趣味と義務

自分の趣味はなんだろうかと時々考える。
趣味は好きなこと、と仮定しよう。
好きなことは誰かに止められてでもやりたくなる。
小さい頃親にゲームをやりすぎだと言われてもノンストップでやり続けた。
あの頃の自分はマジで止まらなかった。
それこそ寝る間も惜しんでゲームをした。あれはまぎれもなく趣味だったと言えるだろう。

一応人に「趣味は?」聞かれたら「映画鑑賞」や「読書」と答えるようにしている。多分人並み以上に映画を観るし、本も読む。
うん、これはきっと正しい。

ただ、果たしてそうだろうか。
例えばこないだの休日は

「ようっし!明日は映画三昧だ!」とイキり勇んで眠りについたものの、起きた自分は一向に映画を見始めない。
youtubeを観たりインスタをみたりLINEを気にしたりして1時間、2時間と時間は進んでいく。
自分の心の中では小さな頃の母親よろしく「映画見なさい」が鳴り止まない。

しかし自分はyoutubeやインスタを止めない。なんなら同時プレイもこなすマルチぶりだ。すごい集中力だ。

しかし、これってゲームは趣味だった理論から言うとyoutubeやインスタが趣味になってるのだろうか…映画や読書は子供の頃の勉強のように「義務」になっているのだろうか…
いや、そんなことは認めたくない。認めたくないけど、youtubeが…インスタが…止まらい!

もしかしたら自分は何にも考えずに時間が過ぎるツールを本能的に探しているのかもしれない。
youtubeの広告スキップを待つあの無五秒間、インスタをひたすらにスクロールするあの虚無な動作。あの無の時間を、自分は、本能的に求めている…?

「趣味」というものを見つめ直した時、そんな虚無を求める本能に負けないために「趣味」という幻想を作り出しているのかもしれない。と、ふと思った。
とりあえず、少なくともyoutubeやインスタを「趣味」だなんて言いたくない。

まぁでも「趣味」という幻想の中に1ミリでも宿る純粋な「好き」だってあるはず。それを少しづつ本物に磨いていけば良いんだ、多分。

どっぷりと甘美な虚無と少しの絶望が混じり合い、強引に自己完結した休日。
皆様はいかが過ごしましたか?

では!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?