オランダの音にある老人の息づかい

もし、あなたが素直な心でこの世の中を生きるのなら、人々はあなたをボコンボコンに攻撃するだろう。

皆さんは学校できちんと素直に生きなければいけません。

そんなような教材を渡され、そのように生きるように教えられる。

しかし、教師の本音はどこにあるだろう。

嘘も方便。うまく問題を起こさず、適当にやる術を適当に学校生活で身に着けてくれ。

といって、必要もないお上や上司からの通達で採点、評価、会議に追われる。

学校を卒業した後は、何が待っているのだろう。

理想?寝ぼけたこと言わずに仕事しろである。

生産性を求めればそうなるのは当然であり、理解できる。

しかし、その先に何があるのか、ぜひ教えてほしい。

商売人が稼ぐのに邁進するのは当然である。

誰も否定しない。

しかし、だからこそ素直な心でいなければならない。

そして、それを語るのは老人の特権だというのが大体の相場である。

しかし、いまの時代、リタイアした老人が粗末に扱われる時代。

誰がそれを唱えるのか。

たとえそれを唱えることがあっても、若い世代はそれを聴くチャンスがないかあっても極めて少ない。

両世代が完全に切り離されているからだ。

70年以上も生きれば本人が気づこうと気づくまいと立派な知恵を持っている。

でないと生き抜くことなど到底できない。

若者のエネルギーと老人の知恵が一緒になれば、若者は何かを覚えるし、老人は生きるエネルギーを貰える。

老人と若者を切り離すということは、過去と未来を断絶することを意味する。

両者が対等に一緒になって働く機会というのがぜひ必要である。

ここで対等というのがキーワードになってくる。

主従関係があってはいけない。

これがあったから、今のような貧しい時代になったのだ。

音楽を一緒にやるのはどうだろう?

やることも責任も同じ。

オランダでは子供から老人までが一緒になって音楽をする文化がある。

老人は若者を支え、若者は老人を支える。

中間層が全体をマネージメントする。

こうやって、勘のいい子が時々、音楽院に行き、音楽家になっていく。

日本と違うのが老人の呼吸が混じっている。

本質的なものが混じっているのだ。

これが、音に深みを与える。

これが、オランダの音の香りの正体なのである。

私自身、こういう吹奏楽団に4年所属し演奏していた。

団員にはコンセルトヘボウ管弦楽団やオランダ海軍バンド、アジア最大の音楽院の教授をはじめとした多くのミュージシャンが育っている。

Jan Coberとyoutubeで検索してみるとよい。

Saint Cecele Eijsdenという文字がたくさん出てくるはずである。

彼がこの吹奏楽団を育て上げた張本人であり、世界を飛び回っている。

一度、こういうローカルなオーケストラでも吹奏楽団でも聴いてみるといい。

コンセルトヘボウのようなインターナショナルなオーケストラでは駄目である。

慣れれば、途端に虜になる。

日本はアメリカナイズされている。

教育された、若いクリーンな音楽である。

良くも悪くも、臭みはない。

この記事を読んでいる方で賛同していただける方は、コメントにでも連絡くれれば嬉しいです。

一緒にこういうコンクールとは関係のない日本のこういうアマチュアの吹奏楽団の構想をつくりましょう。

構想を練り、発信し、協力者を募りましょう。

できれば、孤独な老人の多い地域。

わたしが彼らに音楽の作り方を覚えてもらうよう、うまくやります。

誰かはいません。いつかは来ません。

これは多くのマエストロから学んだことです。

お待ちしております。

綿岡浩平(実名)





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