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休職日記「人間関係のメンテナンス」って大切だよな、と思う今日この頃なのです。

 適応障害と診断され休職中だ。社会復帰を目指してリワークに通いながら日々を過ごしている。色々と学ぶことが多いのだけど、最近とくに意識しているのは、職場で居心地よい人間関係を築くためには、日頃からコミュニケーションを通して「人間関係のメンテナンス」をする必要があるんだなってこと。

 よく男女の会話の違いで、男性は「結論に向かうのがゴール」女性は「気持ちの交換をするのがゴール」なんて例えがあるけど、男性も女性も時と場合によってこの「論理的」「情緒的」の2種類のコミュニケーションを使い分けているんじゃないかな?と思う。

 例えば仕事の課題を解決するときは「論理的」友達と食事をして楽しむときは「情緒的」みたいな感じ。どちらのコミュニケーションも大切だけれどベースとなる「人間関係のメンテナンス」をするには「情緒的」なコミュニケーションの方が重要な気がする。

 ちなみに「情緒的」なコミュニケーションとは「笑顔や挨拶や雑談」のことで、会話に結論はなく、気持ちの交換をすること自体が目的だ。

 自分はこの「情緒的」なコミュニケーションが特に苦手で、会話とは結論に辿り着くための手段だと思っていたから、結論がないと、何を話したら良いのか分からなくなってしまう。その結果、仕事に関する会話はするけど、普段は無口で何を考えているかわからない奴、みたいな印象を周囲に与えがちで、その結果人間関係がぎくしゃくすることが多い。

 例えば「職場は仕事をする場所なんだから、論理的で合理的な会話ができればそれでいいじゃん、友達を作る場所じゃないんだし」と、思っていたこともある。けど、それだと仕事が順調な時はいいけど、仕事の結果が出なかったりトラブルが起こった時に、ベースとなる人間関係ができていないから腹を割って素直に話し合えないし、いきなり結論にすっ飛んで「失敗したのはだれの責任だ」みたいな責任の押し付け合いになったりする。

 でも、普段から「挨拶や笑顔や雑談」で「気持ちの交換をするコミュニケーション」をしていれば意見の対立があっても、互いを尊重しながら建設的に議論ができる気がする。むしろ、仕事で結果を出すためにこそ「情緒的」なコミュニケーションが大切だと思うようになった。

 だから「会話は手段」だとばかり思っていたけど、そうじゃなくて「会話は目的」にもなるんだな、機械の歯車に油を注すように、人間関係も錆びついて動かなくならないように普段から「会話」という油を注す必要があるんだな、そういう風に考えるようになった。

 ということで、まずは練習としてリワークで他の通所者さんとちょっとした雑談をしてみようと思う。何を話せばいいのか?とかあまり深く考えずに「会話をすることが目的」なんだと思って、気楽に話してみたい。小さな会話の積み重ねが、人間関係を築く礎になるのかもしれない。

 自分自身メンタルを安定させて末永く働くためにも、コミュニケーションを通して友好的な人間関係を作れるようになれたらいいなと思う。とりあえずなんでも思いついたことはやってみよう、そうすればまた新しい発見があるだろう。

 

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