【八尾のフィールドノート-自転車で爆走していた大人たち】2023-7-14

私は今大阪の北側に住んでいる。
お金持ちが集まると言われている余裕のあるエリアで、住んでみるとなるほど確かに、平日の昼間からあんよトレーニングをしてるお父さんや、子どもの興味関心に立ち止まりながら散歩しているお母さんを見る事が多く、ゆとりを感じる。午後7時には夕食の匂いが漂ってきて、阪急電車をバックにゆっくりと陽が沈む。駅前に飲食店は少なく、夜はシンとしている。
ザ、丁寧な暮らしという感じ。

そんな町に住みながら、実家がある八尾は南寄り、ほとんど奈良に近い方面にあるので帰るたびにその温度差にクラクラする。今はどちらも自分ごとで、手の中にあり、大切に大切にしているから、愛おしく感じる。贅沢なことに二つの街を行き来して比べられるから、それを記録しておこうと思う。私にとって光景の記録は記憶の保存だから。

まず私のホームタウン・八尾は、結構大きい。
中核市と呼ばれていて、人口は約27万人。
畑もまばらに残っていて、最近老人ホームがあちこちに出来始めたところ。
大人も子どももエネルギッシュで元気だ。

午後6時、駅から歩いているとたくさんの自転車にすれ違う。
八尾は自転車人口が多い街で、駅前の横断歩道なんかは非常に活気がある。信号が変わるや否や四方から自転車が飛び出し、斜め横断が入り乱れ、まさにダイヤモンドクロス。
ここで誰もぶつからないのが八尾のチャリンコレベルである。小さい時から昼夜自転車を乗り回して町内を駆け回ってきただけの事はある。

目立つのは“爆走”しているお父さんお母さんだ。あるお父さんは前に子ども、後ろにおそらく保育所で使った布団を乗せて、スーツに汗が染みるのもかまわず強く漕ぎ続けていたし、腕に何かのロゴが入ったポロシャツを着ているいかにもパート帰りの奥様は食材が沢山入ったエコバッグを前に乗せ、脇目も振らず猛スピードで漕いでいた。化粧は崩れ、目元のシャドウはよれている。髪も湿気でパーマがキツくなり、首元に張り付いて鬱陶しそうに見えた。それでも彼女は前だけを見て爆走していた。
午後6時、彼らの1日はまだまだ終わらない。

午後7時すぎ、あちこちで「バイバーイ」「また明日な」と子どもの声が聞こえる。小学生だろうか、部活帰りの中学生だろうか。今からお腹を空かせて帰る子ども達を、さっき爆走しながら帰った父母が家で待っている。もしかしたらご飯はまだできていないかもしれない。どちらもいない家もあるかもしれない。ちなみに八尾では、自分の体より大きい自転車を乗りこなす小学生を多く見る。大きくなって買わなくていいように、初めから大きいのを買っておくのだ。もしくは上の兄姉のお下がりをもらう。八尾の子どもは逞しい。八尾の親も逞しい。

ここで自分が小学生、中学生だった頃を思い出す。

自転車で爆走している大人はもちろん身近にいた。〇〇くんのお母さん、〇〇ちゃんのお父さん、みんな夕方は自転車で爆走していた。疲れた顔で、汗をかいたスーツで、汚れた作業着で、かかとに絆創膏を貼って、下の兄弟を乗せて、髪を振り乱して、皆爆走していた。

それでも私をみると「あら!〇〇ちゃん、運動会五重の塔上なんやってね?おばちゃん見に行くからね」だとか、「おう〇〇ちゃんやないか、晩ごはんウチで食べてくか?」だとか、絶対声をかけてくれた。忙しい中でもそういう一言を忘れなかった。「お父さんにまたよろしく言うといてな」とか「冷凍餃子を貰ったんやけどいる?お母さん困りはるやろか」とか。短い会話を交わして、またお互いに自転車を漕ぐのだ。まるで蜂がぶんぶん飛び回るようなコミュニケーションだった。
皆帰る場所があり、急ぐ理由があり、その中で偶然に、忙しなくすれ違った。ゆとりはないかもしれないけど、確かで強固なコミュニケーションがあった。

時間帯一つをとっても、町が見せる顔は町ごとに違うんだと、2つの場所を比べて感じる。
先述した通り、私は今、どちらも愛おしい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?