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【一部更新】愛されないはアウトか

愛されないことはアウトなのか。

毎度毎度、突然の無視、音信不通を決め切る成人男性(40)が私の好きな人なのだが、それは私も彼もアウトなのか。

付き合いを始めて3年になろうとしている。
某メーカーにてエンジン開発に携わる彼。勤続15年程。


いつも何かのタイミングで連絡は復活するのだが、そのタイミングは全く読めない。2週間の時もあれば半年以上超える場合もある。
この辺が「人間とやりとりをしているな」と妙に感心するところだ。

そんな中、多くの友人は私を大事にしない彼が嫌いだという。
ただ、「大事にする」とは一体どのような事なのか。
愛する他人と関係を維持していくとはどういう事なのか。
そんな事を今夜は考えていく。


大切にする


大事にする」=
私を優先的に考えて行動する、または優先できないのであればきちんと言葉で伝えてコミュニケーションをはかる


多くの友人がこう考えてくれ、私の現状に憤慨してくれる。
本当に、心から嬉しい。感謝しか述べれないのが悔しいくらいだ。

しかし。

私はそこに違和感がある。

何故かこの幸せの等式に違和感があるのだ。ただ、やはりこれが成り立たないと「関係がもう終わっている」と考えてしまう意見が多い。

愛されてなければアウト」ということ。

しかし、私はそうは思っていない。
私はこの等式に対して非常に「受け身」を感じる。


一種の愛の等式への違和感


あくまでもこれよって得られるもの(安心感や連帯感等)は副産物で、殊、愛において主産物にすべきではないと私個人は感じるのだ。

私がパートナーに求めるものはこれではない。
果たして一体何なのだろう。


それは、「愛を見守る、育てる環境」だ。


「君は阿呆か」と思う人も多いかと思うが、あくまでもパートナーシップにおいて「先行的に愛す」が何より重要と私は考える。

それは、愛を「与えられない苦しみ」より「与える喜び」の方が重要だということだ。確かに「愛されている」という実感は言葉なり態度なり何かしらある方が嬉しい。当たり前のことだ。

そう、「愛される方がいい」なんて関係の中で前提としてあるものなのだ。


ただ、「その愛が相手にとって不必要なのではないか」という声もあるかと思うが、それは相手との関係や時間の経過がどのようなものなのかにもよるはずだ。

私の場合、「不要なのであれば何回音信不通になったとしてもこうやってずっと繋がることはない」と考えている。
それが「信頼」のかたちの1つなのだと勝手に解釈している。

明確に「愛されている」と感じられないのならアウト、とするのではなく、あくまで必ずしも双方向にならないといけないものでもないのではないか、という話である。


まあ。
何か原因があってこうなっているのは明白なので、彼のペースをまた見守ることにする。辛いのだがそれがやめられなくてずっと横にいるのだ。



…と、
冷静に対応したいのだが私も人間なので連絡とりたいときは勝手に連絡を送ってしまう。

でもそれも私のペースなのできっと彼もわかっているはず。

他人と関係をもつということは困難が多い。
これが正解というものがないのが人間の生きる毎日だ。


今日はそんな話。

※一部加筆しました 8/21 8:00

サポートされるってどんな感じですか? でもマイペースに進んでいきたいと思います