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昭和の小学生の遊び 野球編

最近は野球をする子供もずいぶん減っているようですが、私の小学生時分は本当に野球が盛んでした。

少年野球チームも同じ小学校の学区内に5チームありましたし、リトルリーグも含めるとクラスの男子の3分の1くらいは野球チームに入っていたくらいです。

学校の休み時間はゴムボールで手打ち野球、掃除の時間はホウキをバット、丸めた雑巾を球にして野球、学校が終わったら校庭や公園に集まって野球、ひとりで遊ぶ時も壁あて、日曜日は少年野球。とにかく年がら年中野球してました。


特別ルール「透明ランナー」

手打ち野球や学校が終わった後にやる野球の場合は、9人対9人なんて人数はさすがに集まりませんが、人数が足りないなら足りないなりにやり方があったんです。3人対3人くらいならじゅうぶん試合(?)が成り立つんです。

3人の場合は投手のうしろに適当に2人守る。捕手は壁が代役。適当な壁がない場合は、打者がなるべく空振りしないように頑張る。空振りすると球を拾いにいかないといけないから。

攻撃中の走者が足りなくなった場合は「透明ランナー」という特別ルールが発動します。たとえば3人しかいない場合に満塁になった場合、打順が回ってきてしまった走者のところは、走者がいるテイで試合を進行する。それが透明ランナーです。

キャッチボールで変化球習得に執心

2~3人しかいない場合はキャッチボール。高学年くらいになると、なんとか変化球を投げられないかと練習したものです。子供向けの「プロ野球大百科」的な本に変化球の握り方が載ってたりしたので参考にしたりして。

軟式の山(縫い目)の低い球なんでなかなか曲がる球を投げるのは大変なんですけど、私のカーブはけっこう曲がるって評判でしたよ。指が長かったのも良かったんでしょうか。

自分なりに見つけたコツとしては、山(縫い目)に指をかけて、球の真ん中を握るんじゃなくて球の右半分くらいを握って、回転は横じゃなくて縦にかけるつもりで投げると、山なりでググーっと曲がっていきました。曲がるんだけど、遅いから簡単に打たれるんですけども。

友達にフォークが得意なヤツがいて、ほとんど回転しなくてスっと少し落ちる球を操ってました。それを捕球するのは楽しいし、その変化にちょっとした感動すら覚えたものですが、こっちもやっぱり簡単に打てちゃう。遅いし打ちごろなんです。

でも、とにかく投げた球が曲がったり落ちたりするということが重要で、打たれやすいとかそういうことはどうでもいいんです。

ひとり壁あて野球

ひとりの時は壁あてです。ただ投げて跳ね返ってくる球を捕るだけなんですが、アホみたいに暗くなるまでやってました。

当時住んでいたのがこんな路地のところで、通常パターンでは青矢印の向きで壁あて、気合が乗っている時は赤矢印の方向で壁あてにいそしんでいました。わざわざ図にするほどの話でもないんですが。

赤矢印方向の距離の長い方の壁あて、今思うと左から人が歩いてきたら危ないですが、通行人デッドボールという惨事に至ったことはなかったです。車も入れないくらいの狭い路地だったのが幸いだったようですが、危ないことは危ない。

それは置いといて、この長い距離パターンの時はもう試合形式です。自分の中で。

自分をプロ野球の投手に見立てて、阪神タイガースの打線と勝負しているテイで壁あてをやるんです。

圧巻の投球で完封勝利とかだとリアリティに欠けるので、適当に打たれたことにしてピンチの場面など作りつつ脳内で試合を進行させ、最後は二死満塁でバースか掛布を三振に取って終わるみたいな。

弱小少年野球チーム

こんだけ野球やっといて、日曜日は少年野球です。

最初に書いた通り当時は野球をやる子供が多かったので、学区内だけでも5チーム、市内だとその数倍はチーム数があったんじゃないかと思います。

強いチーム、弱いチーム、色々でしたけど私が入っていたのは超弱いチームでした。

雰囲気もゆるくて、初めて試合に出してもらったのは、キャプテンが家族で潮干狩りに行くから欠席ということでその穴埋めでのスタメン起用でした。ちなみに初打席ケツにデッドボールで出塁という大活躍。

6年生になってレギュラーになってからは、捕手だったんですけど監督に「ぼくも投手やりたいです」と言ったらすぐに登板させてくれました。言ってみるもんです。2四球2死球の大乱調で、投手は1日でクビになりましたけど。

またある日、打撃不振で困っていた私はふとひらめいて、突然左打席に入りました。思いつきでスイッチヒッター転向を決意して実行しようとしてみたんです。この時はさすがに怒られて、転向は未遂に終わりました。

部費というか、月謝が月200円で、日曜日の練習前に空き缶拾いをして少しでもお金に・・・ってことをやってました。アレでいくらになったんだろう。多分、道具とかの費用は父兄とか監督がカンパしてたんだろうなと思います。

アンダーシャツ、靴下、帽子は各自購入だったんですけど、ユニフォームの上着とズボンは先輩のお下がりを代々着まわすというシステムだったんで、特にズボンはツギハギだらけでした。

守備位置よりもユニフォームのサイズで背番号が決まる

ツギハギよりも問題なのは、ユニフォームのサイズです。普通少年野球の背番号って守備位置に対応したものになってるんですが(投手は1番、三塁手は5番とか)ウチのチームの場合はサイズが合うかどうかが優先でした。

遊撃手が1番をつけていたし、一塁手が6番、私は捕手で7番でした。ところがある日、2番をつけた小柄な二塁手がブカブカのユニフォームを着ていて、私がパツパツのユニフォームということに気づいた父兄がいました。

「取り替えちゃえば?」のひとことで、その場でユニフォーム交換をして、それ以来私の背番号は2に変更になりました。守備位置とも合ってたし、サイズもピッタリになって言うことなし。

弱小チームの下手くそ選手の一瞬の輝き

戦績の方は、5年生の時は2勝18敗、6年生の時は6勝12敗でした。個人成績としてはあんまり打てなかったですけど、6年生になって最初の試合で1試合でホームラン2本(うち1本が満塁弾)という離れ業をなしとげ、打てるやつだと勘違いされてずっと上位打線を打ってました。マグレだったから本当は全然打てないのに。

打つ方はダメだったけど、肩は強かったので軟式少年野球では至難の業とされる「盗塁を刺す」を2回やりましたよ(自慢)。これってまあまあすごいんです。少年野球って一塁に出たら二塁への盗塁はフリーパスみたいなもんなんです。ほとんどアウトにできないから。

少年野球の守備において「盗塁を刺す」「ゴロでゲッツー」は1試合でホームラン3本打つより難しいスーパープレーなんです。

記録マニアの変態小学生選手

それはさておき、チームにいた一番仲の良った遊撃手と私は、打率とか出塁率とか、記録マニア的なところがあって、新聞に載ってる「プロ野球打撃十傑」みたいなのを切り抜いてノートに貼って眺めるみたいな変態小学生2人組だったんです。

そんな変態2人は、コーチがつけてるスコアブックとは別に、自分の個人成績を勝手にノートにつけてました。細かい数字は忘れましたが、遊撃手はスポーツが得意なタイプだったんで打率3割5分くらい打ってました。

私はせいぜい2割。打数と安打数を計算して、何打数何安打なら打率がいくつ上がる、3割に届くにはどのくらい打つ必要があるみたいなことを計算してました。

でも、ちょっと打率が上がってくると数字を意識しちゃって緊張して打てなくなるってんですから、記録をつけていたことは全くの逆効果。でも、そういうのが楽しい変態選手だったんだから、成績は二の次という本末転倒っぷり。

下手でも試合に出れるって良いよね

人数も少ないチームでなかなか勝てなかったですけど、運動神経の悪い私でもレギュラーで試合に出してもらえたので良かったと思いますよ。6年生は自動的に全員レギュラーっていう状態でしたから。

強豪チームで厳しい競争を勝ち抜いて・・・みたいなのも良いですけど、私みたいな運動神経の悪いドンくさい子供でも、試合に出られれば楽しかったです。せっかくチームに入ったのにずっと補欠じゃあ、何のために野球やってるのかわかりませんからね。

たとえ試合に出られなくても、努力することを学ぶとか、縁の下の力持ちとしてチームを支える・・・みたいな考えもあろうかと思いますが、ドンくさい子供だった私にとっては、そんな考えクソ食らえですね。試合でボールを追っかけることができるチームに入って、本当に良かったと思います。

そもそも野球って、下手な子でも試合に出れば打順は回ってくるわけで、必ず打席に入れるっていうスポーツなんです。うまい子だけで試合が進むというわけではないんです。

打席に入った時だけはみんなが自分に注目してくれて応援してくれる。たとえ空振りしたとしてもバットさえ振れば下手な子でも試合に参加できる。そこが良いところだと思いますよ。

※その2も書きました。

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