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フーコーとサド①

 ミシェル・フーコー(1926~84)といえば、で現代社会をパノプティコン型監視社会であると批判した『監獄の誕生』で知られています。しかし、彼がマルキ・ド・サド(1740~1814)に非常に関心を持っており、彼がコレージュ(パリで行われている無料の市民講座)で語ったサド論は非常に面白いものだったので紹介したいと思います。
 マルキ・ド・サドはその名の通り、サディストの語源です。彼は、侯爵として莫大な富と栄誉を継ぐはずでした。しかし、彼はソドミー(男色)と乱交によって風俗を乱したことでバスチーユ牢獄にいれられます。当時、キリスト教観においてソドミーは重罪でした。しかし、彼は牢獄においては今度はその精力を創作にぶつけ、『ソドムの120日』だの『ジュスティーヌ』だの、R18指定待ったなしの作品をどしどし出版します。かくして、彼は精神病院と監獄を往復させられる人生となりました。
 R18指定と私はさきほどいいましたが、親父が本棚に隠しておくようなエロ媒体のように考えてもらっては困ります。第1、フーコーがそんなものを話題にするわけではありません。
 サドの作品はエログロなのですが、エログロが重要なのではなく、あらゆる価値観を蹴飛ばしたものでした。強姦やら殺人やらに走る主人公たちは最後まで富み栄え、清純で清く正しい人ほど何の理由もなく悲惨な結末をたどるのです。サドは狂人で変態のレッテルを貼られます。今でも、そういうふうに捉えられていることが多いと思います。ですが、フーコーは、サドはかずかずの変態的行為よりも執筆活動に執着していたと指摘します。彼は、絶対に書かねばならなかったのです。なぜかはこの次にお話しします。





参考文献
『フーコー文学講義』大いなる異邦のもの
2011/10/10 筑摩書房

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