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あたまがさんかく 7/24

ひと通りエッセイ集は描き終わったのですが、また書こうかな、と思って、今、キーボードをカタカタ打っています。今、『躁うつ病時代を生き抜くための創作術』という連載コラムをnoteで連載しているのですが、日記形式のものもまた書こうかなあ、と。早まっているのですが、タイトルは『あたまはさんかく』にしてみました。僕はくるりというバンドを敬愛しているのですが、彼らの曲の中で『言葉はさんかく こころは四角』というものがあるのですが、そこから拝借しました。

最近の僕は穏やかです。今日は月曜日で、金曜日の夜に映画を見た帰りにバスを使ったのですが、揺れがひどかったのと、急ブレーキで、体のバランスを崩してしまって、そこから土日は少しバランス崩してました。土曜日はバランスが崩れた自分を自覚しつつ、なんとかバランスを戻そうとして、なんとか身体の中心点に戻しました。
鬱にはならなかったけど、どうも、鬱の時は、やっぱり頭がさんかくになる。そんな感じがします。四角じゃないし、丸でもない。どちらかというと、四角の時は穏やかな気分の時のようだし、丸の時は、もっと、穏やかな時。なんかそんなイメージで、鬱に入った時は頭がさんかくで、空気中の、目に見えない、人の意識のながれだとか、言葉の端々だとか、言葉のニュアンスだとか、表情筋の微妙な動きだとか、目の動きだとか、瞼の動きだとか、言葉の強弱だったり、使われる言葉の強さだったり、弱さだったり、伝えようとしたくないことも、言葉の裏を感じ取ってくれ、という気持ちも、人の手の指の動きや、スマホをいじっている時の表情、しかめ面だったり、ゲームをしている画面が明るすぎるなあ、と思ったり、顔と顔との距離がスマホを持っているからやたらと距離が近く感じたり、地下鉄の轟音だったり、錆びたタイヤの金属音だったり、エレベーターに並ぶ列の、お互いの微妙な気の使いあいだったり、それでもちょっとしたエゴを垣間見せる人たちがいたり、それは俺だったり。俺じゃなかったり。

なにか気持ちが穏やかで、頭が四角か、丸の時は気にならないのに、バランスを崩した途端に、頭はさんかくになって、世間を敏感にキャッチしようとする。正三角形の、60度の角度で、世間の空気をひっかけようとする。僕にはそれがとてもやっかいなのです。

というわけで、このエッセイマガジンは『あたまがさんかく』と名付けてみました。ぼちぼちと書いてみようと思います。

午前中のパステル画『17:53』

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