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個人でウェブメディアを3年半続けてきて、見えてきたもの。

僕はニソクノワラジというウェブメディアを3年半ほどやっていまして。もう3年半にもなるんですね。びっくりしました。

そもそも、ニソクノワラジは僕が会社員時代に、「会社に言っても文句言われない程度の副業したいな~」「”会社にとってもメリットがあるね!”とか言われて、会社公認の副業になるとなおいいな」みたいな考えぁら「そうだ!そもそも副業をテーマにしたメディアがあまりないんだから、それを自分で立ち上げちゃおう!」って思ったのがきっかけです。つまり思いつきなわけです。はじめは僕も「ニソクノワラジが僕の副収入になればいいな~」的な甘~い考えを持っておりました。「広告収入とか、タイアップ企画とかできたらいいな~」と。

しかしながら、立ち上げてから、数ヶ月、京都や大阪や東京でも取材を重ねていくうちに、「これは副収入やPV数を稼ぐためにやるものじゃないな」とだんだん思ってきたんです。副業をテーマにインタビューさせてもらっているわけですから、僕はてっきり、お金の話や会社と副業の兼ね合いの仕方の話、とかになると思っていたんですね。ですが、ちょっと違ったんです。取材を重ねていくうちに見えてきたのは取材をさせていただいた方達の「生き方」でした。取材させていただいた皆さんは、会社員などの副業をしつつ、それぞれに信念を持った生き方をしている。それぞれの「生き様」を言葉に乗せて僕に伝えてくださったんです。それで僕も「これは副収入とか、そういったものを目標にしてやるものじゃないかもな」と思い、結構すぐにシフトチェンジしました。ニソクノワラジは「僕という”個人”でやるからこそ、今を生きる”他者”=“他個人”の生き方を活写するメディアにしよう」そう思ったんです。それから大体、3年ちょっとが過ぎました。

それから僕も、病気になって、会社員を退職し、一年間の療養しながらニソクノワラジを続け、フリーランスとして活動再開したものの、また病気が再発し、今はなぜかニソクノワラジをやりつつ、バイトしながら、絵を描いているという生活をしています。なんか思わぬ生活の転換をしているような気がします。不思議な感じです。

病気の期間は本当に辛いものでした。僕は30歳に入ってから、結構すぐに病気になったので、もうかれこれ4年間ほど、闘病しているわけですが、家族や友人はもちろん、僕も心の支えになってくれたのは、ニソクノワラジを通して、出会った方々です。

僕は”人脈”という言葉にあまりピンときていないのですが、ニソクノワラジをやっていて得たものは、「人の縁」だとはっきり言えます。僕は会社を退職した時点で「俺は自力ではなく他力を信じて、これから生き抜くぞ」と思っていたのですが、現実はそうではなく、結局は8割型の自力を信じていたように思うんですね。でも、自力っていうのは、やっぱり限界があるものだと常々感じています。僕は躁鬱病と言って、躁状態とうつ状態を繰り返す病気を抱えているのですが、僕をうつ状態から立ち直らせてくれるのは、やっぱり他力です。妻であり、友人たちであり、ニソクノワラジを通して出会った方々の言葉であったりします。もし仮に、僕が"完璧に孤独"であったなら、もしかしたら、とっくのとうに生きるのをやめてしまっていたかもしれません。本当にニソクノワラジをやっていてよかったと思いました。ニソクノワラジを通して、得たものは、僕を「見てくれる」人たちの存在です。僕は今、「見られている」ことで生かされています。僕はカラムーチョ伊地知というペンネームを使って活動していますが、カラムーチョ伊地知の作った絵を「見てもらう」カラムーチョ伊地知の書いた文章を「見てもらう」カラムーチョ伊地知の作ったあらゆるものを「見てもらう」つまりカラムーチョ伊地知を「見てもらう」ことで生かされているのだと感じます。「見てもらう」ことこそ、僕ら躁鬱人が安定する冴えたやり方だと感じています。

ニソクノワラジは、今思えば、多分、僕が躁状態だったときに企画を立ち上げたんだと思います。躁状態のときには頭の中のあらゆる扉が開いて、そこからアイディアが湧き出てくる感じがします(使えるか使えないかは別として)。逆にうつ状態の時は、その扉が開いて、全く換気ができない感じになります。ニソクノワラジは多分、躁状態で開けた扉のひとつだったんだと思います。それに躁状態の時は、やたら人に会いたくなって、人の話を聞きたくなるし、人に話を聞いてもらいたくなります。そういった躁状態の反動で、僕は一年間のうつ状態に苦しみました。でも、今は、ニソクノワラジをやっていて「よかった~!」と思っています。躁状態の自分が、うつ状態の自分を、時を通り越して救った感じがします。人生何があるかわかりません。というか、何が自分の身を救うかわかりません。

ニソクノワラジは僕にとってのホームベースです。なので、これからも続けていくと思います。今までもかなりマイペースに続けていたので、これからもマイペースに。人と人を繋ぎつつ、僕と他人も繋いでいきたい。そう思っています。やりたくない時は、やらないし、取材したいときにやる。人の話を聞きたいな、って時にやる。そんな感じでもいいのかな~って思っています。

ニソクノワラジは、あくまで僕が気になる人を、または、他の人が気になっている人を、紹介してくれて、取材しています。そういうウェブメディアです。だからこそ、ひとつひとつの小さな記事が、いつか大きな言葉の渦となって、まだ出会ったことのない、この世界のどこかで苦しんでいる(例えば"完璧な孤独"を抱えているような)人たちを、救うんじゃないか。そんな壮大なことを考えています。取材させていただいた皆さんの言葉は、力強く、美しく、そしてどれもが"しなやか"でした。僕は改めて、今を生きる方々の言葉の持つ力に打ち震えます。
僕はもともと、取材して記事を書くことを仕事としていました。取材やインタビューの何よりの面白さは「取材対象者の個人的世界に一瞬でも一緒に入れること」だと思っています。僕はインタビューを通して、その「個人的世界」を文章で表出させたい。そんなことをこの文章を書きながら考えていました。それが3年半、ニソクノワラジを続けてきて「見えてきたもの」なのかもしれません。

ニソクノワラジは僕が世の中に提供できる公共性の場でもあると思うので、そこらへんを今後は突き詰められればなー、とぼんやり考えています。こうしてひとりで文章を書いていると、どうしても実存的な問題を書いてしまいがちですが、今、もっと公共性を考えてみたい、と思いました。実はインターンの方を招いてみたり、以前は試してみたことがあったのですが、ここ最近はひとりでやることが多かったので、改めて個人ウェブメディアの"公共性"について考えてみたい。そんなことを思いながら、この文章を書いています。どうやら"今の僕"はニソクノワラジを公共的な場にしたいと考えてるみたいです。

この3年半、取材にご協力してくださった方、読んでくださった方、執筆に携わってくれた方、手伝ってくれた方。本当にありがとうございました。特にアニバーサリー企画とかはやりませんが、改めて御礼を申し上げます。

ニソクノワラジはマイペースに更新していく予定です。一体どれくらい続くのか、更新ペースはどれくらいになるのか。それは全くの未定も未定ですが、未定こそ、空白を伴っていて、それは最も美しい状態である。そんな都合のいい言葉を今、思いついたので、「まあ、いいや」精神でやっていこうと思います。

どうぞこれからもよろしくお願いいたします。

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