猫様たちへ

 猫猫猫猫。安定の癒しは猫。この時代に万人受けする「かわいい」は決まって猫。
 写真1秒の猫、リール10秒の猫、猫カフェ30分の猫。そして、「やっぱり世界一かわいいです」うちの猫。

 猫になりたいな、普通に。確で死ぬ迄かわいく居られるし。猫になりたくないな、当たり前に。確で自由気ままで小悪魔になんて生きられる訳ないし、奴隷だし。
 自分のお洒落の為にたまに猫耳フードとか首輪みたいなチョーカーとか着けるぐらいがちょうどいいな。

 猫はみんなにとってかわいい癒しの存在、人間の想定内の言動しかしない存在、人間に飼われる人間よりもか弱い存在だから、みんな猫が大好き。
 だから、猫は流行りで、猫を正義にすることが流行り。猫を批判したら猫がかわいそうだから非国民。女を批判したら女がかわいそうだから非国民。そんな時代になりましたね。
 この時代はいつか終わるのだろうか、ずっと続くのだろうか。

 あの街で、あの会議室で、あの面接官に、なんにも通用しない流行。専業主婦に成ることに、肩身の狭い思いをする時代。
 言葉だけが先走って空回りしているフェミニズム。その存在は知っているけど実質的意味はわからない。誰もがこの時代、この流行りに物申すことが出来るけれど、誰がこの時代を需要しているの?
 ねえ私達、ずーーっと頑張ってにゃんにゃん鳴き続けているけど、ねえ私の猫コスプレの自撮り、何コンマみた?


 簡単で即時的な「かわいい」ばかりじゃ疲れちゃうよねぇ猫様。その気持ち、とてもわかります。常に疲労困憊なんだから、休日に人集りができるペットショップで爆睡くらいさせて欲しい。こっちは見世物じゃないんだ、生きているんだ、この瞬間だけじゃなくて、昨日も明日も明後日も。
 のびのびと無垢に生き続けることも許してほしい、世間。審美眼が鋭利すぎてこわいよ。そのせいでわたし、目と鼻と口のかたちと大きさと配置なんかばかりに囚われ過ぎちゃって、病気になったんだよ。君が知らない間に。
 何かにつけて「女」という私達の名前?を出しては喧嘩をする、この永遠の争いの先には何があるの?自由?平等?笑っちゃう。

 私達は今日も、ここでも何処でもあそこでも、「猫っぽいかそうじゃないか」という裁判にかけられ続けている。
 裁判に怯える私達、裁判に興味のない私達、裁判に勝とうと闘い続ける私達は「悪い」のですか?「イタい」のですか?それとも「かわいい」のですか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?