人にやさしく
THE BLUE HEARTSで、『人にやさしく』という曲がある。
後半の歌詞に、自分の好きなフレーズがある。
やさしさだけじゃ 人は愛せないから
「優しさ」というのは膨大なパターンがあり、必ずしも寄り添う事ではない。距離を置くことも優しさの一つであると思う。
言葉をかけることが優しさであるなら、言葉をかけないことは優しさではないのかというとそうではない。言葉をかけないことも優しさになるだろう。
寄り添うことや、プラスになるような言葉をかける優しさは、相手も受け入れやすく、私が相手に伝えたいと思っていることが大体伝わると思う。
ただ、距離を置くこと、強い言葉をかける優しさは、相手に伝わりにくい。
相手からしてみれば、厳しさになってしまう可能性もある。
ここで言いたいことは、「優しさ」とは「厳しさ」であり、「厳しさ」もまた「優しさ」であるということだ。
ニュースでよく取り上げられている体罰も、体罰を受けている生徒、ニュースだけを見た人からすれば「厳しさ」に感じるだろう。
ただ、体罰をした教師、体罰に至るまでの背景を知っている人は「優しさ」に感じるだろう
ニュースを鵜呑みにしてるとか、一般常識というのは取っ払って考えると、優しさは難しいものだ。
優しさは主観と客観によって意味が変わることがあるため、100%自分の思った通り伝わるとは思えない。
私にとっての優しさとは
これはあくま私が思う優しさである。誰かに押し付けることもなければ、真似しないでほしいとも思わない。どう解釈されようと問題ない。
まず、私は言葉に棘がある。最近だと自分自身で言った後、「明らかに言い過ぎていないか?」と思うことがあるくらいには棘がある。
しかもそれを許容してくれる環境の良さもある。友達は多くはないがいないわけではない。
棘があるのに絡んでくるなんて、よっぽど私のことが好きかMなんじゃないかと思う。
言葉に棘がある私の優しさとは、敢えて何も変えないことである。
落ち込んでいようと自分のスタンスは変えない。大丈夫ですか?までは聞くかもしれないが、大体の人は大丈夫と答えるのでそこからはいつも通り接する。
私自身不器用なため、それしかできないというのもあるが、どんな状況でも変えないっていうのは相手を信頼している証だ。めちゃめちゃくさいセリフだけど本当にそうなんだ。
ただ、心がつぶれる寸前で相談してくれる人に対しては違う。それは潰れないように言葉を気を付けることにしている。普段通り話してたら潰してしまう可能性があるからここだけは本当に慎重にしている。つもり。相談されたら、そうするつもり。
私は言葉に棘があるせいなのかわからないが、相談のその字もされない。でも相談されるために優しい言葉をかけまくるのもどうなのか、明らかに不審がられて余計相談されなくなるだけだろう。
言いたい事は一つだ。
もっと頼りにされて~~~~~~~~!!!!!!!
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