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薄着になりたい。

どうもこんにちは。

書きたいことはいろいろ浮かぶも、書き進めているうちに思ってるんと違う文章になってしまいがち、かんなです。


もっと本音でいろいろ書きたいと思って始めたnoteなのに、結局ほかのSNSの投稿とさほど変わりない【思っている本音におべべを何枚も重ねてふわふわさせた文章】になっているのが、我ながらどうにもこうにも歯がゆいのです。


どうしてこうなるんだろうか。


たぶん、というか自覚はあるけど、わたしの根っこに【承認欲求】とか【よく見られたい】とか、そういう思いが渦巻いていて、それが言葉に余計なおべべを何枚も着せているんですよね。
寒がりか。
着ぶくれしとるぞ。


なんだか、自分のからっぽさを感じることが多くて、情けなくなる今日この頃で。
いやもうただのひとりごとなんですけどね。



ずっと、【他人軸】で生きてきたと思うんです。


小さい頃、職員さんやお姉様患者たちに怒られたり、生意気だって言われたりするのが嫌で、

「どうやったら怒られないのか。」
「悪く言われないのか。」
「かわいがってもらえるのか。」

幼い少女・かんなは、そればっかりを考えるようになりました。


いま思えば、きっと小生意気な、いけ好かない子どもだったんだろうと思う部分もあるんだけど笑


5〜6歳前後の頭で考えたのは、

・思ったことを言わない
(⇒生意気って言われるのを回避する)
・意に反しても多数派につく
(⇒怒られない)
・お姉様患者にお菓子をあげる
(⇒そのときは優しくしてくれる)

これが精一杯でした...


でも、何だかんだでそんな思考のまま大人になりまして...


ずいぶん後になって、

“わたし”はどうしたいのか
“わたし”はどう思うのか

それらが、わたしの中からすっぽり抜けていることに気がつきました。


まわりがわたしを大切に思ってくれて、
「かんなは何がしたい?」
「かんなはどこに行きたい?」
と聞いてくれることが、むしろつらいのです。


何がしたいかがわからない。
どこかには行きたいけど、ここ!というところが浮かばない。
浮かんだとして、まわりに「えーそこかー」って思わせてしまったら嫌だな。
誰かが「これやろうよ!」「ここに行こうよ!」って言ってくれたらいいな。


せっかく尊重してくれているのに、それがつらい…と思ってしまうのがつらい。


【よく見られたい】
このことばっかり考えて生きてきた弊害です。
【自分で決められない病】を放置して、悪化させて今日まで来ています。


一方で、この【自分で決められない病】に甘えている自分もいます。

誰かが決めてくれて、楽しかったら儲けもの。
そうでなくてもわたしに責任はないから。

と思ってしまう小狡い自分がチラチラ...いや、むしろそれがメインの自分かもしれない。


そんな自分を、少しずつ変えたい。
そう思い始めています。

言ってることが思春期みたいですよね…。
こういうことは思春期のうちに解決しておいた方が絶対よかった案件だとは思うけど、気づいたときがいちばん若いと思い込んで。



先日、夫とnoteの話をしているときに、夫が

「noteはさ、誰も見てないと思って書いた方がいいらしいよ」

と言っていまして。
DA.YO.NE!と思ったわけです。


わたしは昔から、ちょっと自意識過剰なところがありまして。

「わたしのnoteを有名な誰かが読んだりして、そんな人たちとお近づきになれちゃったりして🤭」

という邪まみれの気持ちを胸にnoteを書いてたなぁ…と反省しました。


飾らない思いを、わたしの中から出てきた言葉で書けばいいじゃん。
もともと、頭や心の中でぐわんぐわんと渦巻く思いを可視化したくて始めたnoteだもの。
いちばん初めの投稿で無駄に素性を隠そうとしているのが痛いけど。恥///


ということで。
余計なおべべを少しずーーーつ剥ぎとって、でもあたたかさも忘れず、薄着なnoteを書いていこうと思います。
内容も薄いかもしれないけど。あわわ。


あらためて、読んでくださるみなさん、かんなのnoteをよろしくお願いいたします❤️




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