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マウントなんて取ったって幸せじゃないのになぜマウントを取ってしまうのだろう

「まぁそうですね」のひと言が言えなくて、苦境に立たされている人はどれだけいるのだろうか。

ふとこの記事を読んで思ったのだ。

なんでもない場面で否定から入ってしまう。
旗から見ればどうでもいいことに歯向かってしまう。
そんなことが日常には溢れている気がするのは、私だけだろうか。

世の中には、何か言われるたびに、あるいは勝手に想像の中で
「マウントを取られた!むかつく!なんか言ったれ!」
と勝手に負のスパイラルに陥る人が、死ぬほどたくさんいる。

彼らは気にくわない「権威」「業績」「忠告」に対してはもちろん、「提案」や「おすすめ」、時には「優しいことば」すら、「マウントを取られた」と思い込むため、「そうですね」が決して言えない。

すぐに否定から入る人は、いったい何を考えているのか。

攻撃的な言葉だけじゃない。優しさすらもマウントを取られたと取り返してしまうのだ。誰も幸せにならないのに。そんなことを思った後に自分がまさかしてしまうなんて思っても見なかった。

つい放ってしまったひと言

知人夫婦に誘われて高級住宅街にひっそりと潜むビストロに行った。そこは本当に隠れ家のようで、わざわざ調べないと到底入れるようなお店では無かったけど、ヨーロッパのコンテストで数々の入賞をする料理を振る舞うステキなお店だった。

またマスターもお店も非常にフランクで、居心地がよく、お店に来ている人たちも幸せそうな顔をして、とても楽しく過ごしていた。

ただ自分だけが、なんだか居心地が悪い気がしていた。

寝不足だったかもしれないし、仕事に不安を抱えていたかもしれない。なんとなく心から楽しんでいる感じがしなかったのだ。

その知人夫婦とは仲が悪い訳では無い。年に数回ご飯を共にするし、共通の友人たちと集いを開いたりもする。立派な友人である。そう敵対視なんてする相手じゃないのだ。楽しく一緒に遊べる大事な友人であることは間違いない。

ただ、本当になんとなく、その日は知人夫婦の旦那さんにイラっとしていた。会話の中で、マウントを取られた訳では無いが、マウントを取られて気分が拭えなかったし、自分の奥さんに対してめちゃくちゃ偉そうな態度を取っているのも気に食わなかった気がする。

そんな程度のことだ。

でも最後に言ってしまったのだ。みんなが「すごいね、頑張っているね」と知人夫婦の旦那さんに声を掛けている姿を見て「たいしたことないだろ、何がすごいのか説明してみてよ」と。

自分の弱さを曝け出しただけ

冒頭の記事では最後こう締められている。

つまらない反論をしても敵を増やすだけだし何にもならない。
そしてなにより、「すぐ否定から入る人」は、すぐに誰からも必要とされなくなってしまう。

それが「人間的な弱さ」の象徴だとみなされてしまうからだ。

反発するなとか、プライドを捨てろ、強い人になれ、とか、そのような必要は全くない。
ただ一言「そうですね」というか、余計なことを言わず、黙っていればいいだけだ。

すぐに否定から入る人は、いったい何を考えているのか。

気持ちは分かると前置きはおいてあるものの、基本的には「人間的な弱さ」を露呈しているだけだから、黙っていようと言っている。

そりゃそうだ。それが出来たら、苦労しない。というかそうゆう自分でありたいと心から思う。

でも、人間だし、自分だし、感情を抑え込んでまで「いい自分」を演じ続けるのも違う気がする。

TPOは必ずある。それはマナーとか理性とかそうゆうものでなんとかカバーして生きていく。

でも弱さを曝け出してしまう瞬間もあってもいい。

そうやって自分を受け入れて生きて行けるほうがきっと楽しい。


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