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ヒト化計画………

かつて何度か紹介してきましたが……、かつてのアレはヒト化計画だったのかもしれないなぁと思っているのです。

アレについて……

何もわからないままなりゆきでやむなく精神病院に就職し、3年もつかな? と思ったし、漠然と3年いてダメ(何がダメなのか全くわかっていない、笑)なら辞めようと思っていました。

生まれて初めての精神病院の中はすごく怖かったのを覚えています(^_^;)

ほとんどの入院患者さんは、長い間全く外に出たことがなく、狭い閉鎖病棟のなかで暮らしていたからです。

入院患者さんから「青い(赤だったかな?)バスに乗せられて、ゆらぁりゆらりと着くところぉ♬ その名も高き◯◯(地名)のぉ〜ぉ〜ぉ〜♬ ◯◯病院ん~~精神科ぁ~♬」「朝も早よから起こさぁれぇてぇ~♬ 苦い薬を飲まされてぇ~♬ 毎日婦長(看護師長)の目玉くいぃ〜ぃ〜ぃ〜、泣く泣く暮ぅらぁす日の長さぁ~♬」という替え歌(まだ続く)を聞かされました。

何も知らない若いマッチョな私(当時は超マッチョでした、笑)は、患者さんの監視、ケンカの仲裁、患者さんの抑制、そして隙をみて病院から逃げ出した患者さんの捜索……などが主な仕事でした(^_^;)

職名は臨床心理士でしたが………(^_^;)

入院患者さんは外に出られないだけではなく、食べるものも含め「え?(゜o゜;」ってな制限が山ほどあり、まぁ、病院というよりも収容所でしたね。

まともに診察されることもなく長い間放置されている患者さんもいました。

そんななかある同期のスタッフと一緒に、患者さん達を外に連れ出し、買い物に行き、映画に行き、喫茶店に行き、免許証の更新に行き………

差し入れや購入できる食品類を増やし……

禁止されていたおしゃれやお化粧も解禁し……

朝ご飯が6時半、昼ごはんが11時、夕飯が16時……だったのも、日常の食事時間に変えていきました。

という、当時としてはある種の革命的なことを手掛けてきました。

風あたりも強いなんてもんじゃありませんでした(^_^;)

古い考えのスタッフからは大きな抵抗もありました。

まるで家畜のごとく収容されていた患者さん達の「ヒト」を取り戻す………ということをやっていました。

一見大変な改革のようにみえますが、実はいかにスタッフが楽をするか、監視や管理など不要な手間暇から解放されるかという、ある種の働き方改革にもなったのです。

もちろん高い意識を持ってやってきたわけではありません、何もわからない……という強みと若さが、まぁ、わけわからないまま無茶なことができたんだと思います。

そう、なんか変だよね、このままは不味いよね………という漠然とした違和感と不快感がそういうことをさせてきたんだね(全然不十分でしたが……)

ということで、ほぼ半世紀近く前のアレは、全くそんなつもりはなかったけれど、入院患者さん達のヒトとしての尊厳を取り戻すことに多少のお役に立てたのかもしれません。

精神病院オーナーは牧畜業者と言われ、まだ患者狩りなんてことがなされ、精神科医は何も知らず何もできないと揶揄され、生活保護患者が永久固定資産なんて呼ばれていた………昔々の話でした。

こういうことは語り継いでいかないといけないと思っていますが、あんまり興味持ってもらえないんだよね(^_^;)

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