ささきたかひろ

アカ名を本名に変えました。 今後も責任を持って映画のレビュー書かさせていただきます! …

ささきたかひろ

アカ名を本名に変えました。 今後も責任を持って映画のレビュー書かさせていただきます! (Filmarks掲載分がメインとなります。) https://filmarks.com/users/sakatahirosaki

最近の記事

「季節のない街」はクドカンの愛に溢れたドラマ

まず、キャスティングが素晴らしいですね。濱田岳のろくちゃんを筆頭に、又吉直樹のリッチマン、藤井隆の島さん、ワイフ役のLiLiCoに至っては黒澤版で同役を演じた丹下キヨ子がAIで蘇ったと見まごうばかりの完成度! 山本周五郎の原作と黒澤版にあった「しんだんじんの平さん」のエピソードが選外だったり、原作では途中で退場する半助を「季節のない街」を執筆する作家としてメタフィクショナルに配置してみたり、島さんの影の部分を描いてみたりと「どですかでん」を黒澤明のベストムービーに挙げている

    • 「シン・仮面ライダー」本当に勿体無い映画だった。

      「庵野秀明の監督作だから」「原作を知らない人には刺さらない」「演技が棒読みなのも演出」「チープなのはTV放送のオマージュ」「場面がつながらないのもオマージュ」などという声が作品を賞賛する方々から聞こえてくるが、これらの言葉には結果的に出来上がった作品そのものへの評価の根拠の薄さと、制作サイドの映画制作の過程における観客に甘えた姿勢を浮き彫りにさせたのではないだろうか。 原作があろうがなかろうが映画とは単体の作品でありそこに何らかの要素で補完しなければ成立しないのであれば、そ

      • 映画「Pearl パール」絶望の終わりの始まり

        「いかにしてパールというシリアルキラーが誕生したか?」 前作「Xエックス」の前日譚(とはいえ遡ること60年前のお話)という位置づけであるがゆえ、どうしても「正常だったパール」が何らかの原因で「異常」に変容したその答えを探したくなる。 しかし、丁寧に「その答え」を描けばそれだけで映画一本分のボリュームが必要だろう。なので、この家庭環境の描かれ方の淡白さは「熟慮された上での構成」なのだろうなと途中から軌道修正をして鑑賞を続けた。 けれどもそんな物足りなさもミア・ゴスの熱演が

        • ザ・ホエール 「本の中身はカバーで判断してはならない by ダーレン監督」

          すべてのケースに当てはまることではないが、過食嘔吐は自身のあらゆるコントロールを喪失してしまった状態の人々が、かろうじて制御を実感できる瞬間でもあるそうだ。必要以上に食べ自らを危機的状況に追い込んだ後、嘔吐する。かいつまんで言えば自らの制御下において危機的状況を発現し、自らの決断で回避を試みる。 つまりそれは普通に生きていくにはあまりに辛い不可抗力的な喪失の体験(トラウマ的体験)の再現でもあり、為し得ることの出来なかった喪失の回避をひとときだけ味わうことが出来る行為でもある

        「季節のない街」はクドカンの愛に溢れたドラマ

          岡本喜八の隠れた名作「青葉繁れる」が初DVD化!

          4K化された黒澤明監督「生きる」の円盤に同梱されていたフライヤーにて昨年末にDVD化されていることを知り購入。鑑賞は30年ほど前のテレビ放送以来。 我が郷里仙台、そして母校を舞台とした井上ひさし原作の青春映画である。撮影がほぼ仙台市内で行われており、50年前の仙台の町並みの記録としても興味深いし、全編通してセリフがほぼ仙台弁であることも(しかもかなり濃い)昨今の東北を舞台とした作品にありがちな「最大公約数的な東北弁のセリフ」と「妙に優遇されている関西弁と沖縄弁」がまかり通っ

          岡本喜八の隠れた名作「青葉繁れる」が初DVD化!

          「腐女子、うっかりゲイに告る」を一気見した。

          自分はいわゆるLGBTに対する理解が低いことを自覚しているストレートな人間ですが、全話を通して視聴し、途中自分でも驚くくらい共感し泣けてしまった。大傑作です。 自分はストレートとは言ったものの、性嗜好に限っての話であり、お世辞にも「普通」の生き方が出来ているとは思ってはいない。大体、特徴もなくどれもこれも茹でた卵みたいにツルッとしていて、棘があるわけでなく、毒があるわけでない、それがある事になんか意味あんのかよ?と彼これ半世紀近く斜に構えている「普通」という存在を私は克服で

          「腐女子、うっかりゲイに告る」を一気見した。

          ハダシ監督激賞!東映時代劇の傑作「十三人の刺客」を見た。

          東映時代劇は自分にとって子供の頃から無意識に刷り込まれた、いわゆる「時代劇」の原型でもあり、それだけにいざ東映時代劇を見るとなると時代劇独特の「お約束」を寛容に受け入れる体制を作ってから臨まざるを得ない。 そんな私が「斜に構えてしまう」のを覚悟の上、東映時代劇の傑作の誉れ高い本作を見ようと思った理由は単純で「サマーフィルムにのって」に大感激したからに他ならない。(劇中、ハダシ達が集う秘密基地に十三人の刺客のポスターが貼られている)いまや敬愛するハダシ監督の激オシ作品、地雷だ

          ハダシ監督激賞!東映時代劇の傑作「十三人の刺客」を見た。

          「デリバリーお姉さんNEO」過去も後悔も今の自分に寄り添ってるんだ。

          聞いてくれる人はいないけど「今年を象徴する単語はなに?」と聞かれたら僕は瞬間に「伊藤万理華」と答える。そしてその次に「松本壮史」「三浦直之」と続く。 1年遅れの「サマーフィルムにのって」との出会いがどうやら僕の人生を変え始めている。ここまで来たらとことん松本壮史と三浦直之に付き合ってやろうではないか! と妙な上から目線で見始めた「デリバリーお姉さんNEO」だが共同脚本がお耳に〜にも参加されているヨーロッパ企画の大歳倫弘なのもあってみるみる引き込まれた。 特に印象に残ったエ

          「デリバリーお姉さんNEO」過去も後悔も今の自分に寄り添ってるんだ。

          マイネーミズ、佐々木

          大した理由もなく昨夜アカウント名を本名にした。佐々木卓宏。今後ともみなさんよろしくお願いしますね。 佐々木、イン、マイマイン 人生で最も苗字の連呼を聞いた時間だった。(2番目は「お耳に合いましたら。」)アカウントを本名にした次の日に見たのがこの映画ってちょっと出来すぎてる。 佐々木って発音しづらいんですよ。 滑舌が悪いと「鈴木」になったり「都築」になったり。 好きでこの苗字に生まれたわけでもないので言うが、あまり好きな苗字ではない。 佐藤ほどありふれておらずとはいえ東北地

          マイネーミズ、佐々木

          「青葉家のテーブル」松本壮史は青春という都市伝説を映像化させたら右に出るものはいないと確信。

          松本壮史監督は映画というお伽話で、私たちそれぞれがそれぞれに抱えている「青春のわだかまり」を昇華させる。この手腕が見事すぎて「これは監督自身の青春への諦観の反動なんじゃないのか?」なんて勘ぐりたくなるくらい。 つい最近見た松本壮史×三浦直之コンビの傑作ドラマ「デリバリーお姉さんNEO」第3話に「青春って都市伝説だと思っていた」という「青春があったと浮かれた者」には両頬を打たれる様な、そして「青春って何?勢」にとっては首がもげそうになるくらいの激しい同意を催さざるを得ない名台

          「青葉家のテーブル」松本壮史は青春という都市伝説を映像化させたら右に出るものはいないと確信。

          スクリーンで観た「蜘蛛巣城」はジャパニーズホラーの最高峰だった。

          午前十時の映画祭にて4Kデジタルリマスター版を鑑賞。 個人的には待望の4Kレストア版の鑑賞だった。 初見は東宝のDVDだったので画面もお粗末だし音声も聞き取れない。日本語字幕を出してようやく最後まで見た記憶がある。メディアの解像度は良し悪しがあって例を挙げれば「椿三十郎」では咲き誇る椿が「造花」であることが明瞭で気になってしまい物語への集中を妨げてもいた。 しかしこの作品に関しては「解像度アップ」と比例して見る側の集中力と緊張感を高めていった気がする(事実、格段に画質が向

          スクリーンで観た「蜘蛛巣城」はジャパニーズホラーの最高峰だった。

          コメディエンヌ伊藤万理華の真骨頂、隠れた名作「私たちも伊藤万理華ですが。」

          LINE上での鑑賞という大前提を理解しつつ、率直に言えばスタンダードな横長画面で見たかった。さらに企画意図に敬意を払いつつも全4話(それぞれの世界線の伊藤万理華主演)のオムニバスドラマとしてまとまったものが見たい。 縦長画面、LINEによる1話4分×12話の構成が良くないということでは全くなく、とても良かったからだ。 公開が2020年の秋なので撮影時期はおそらく伊藤万理華さんの初主演映画「サマーフィルムにのって」の後と思われる。つまり、伊藤万理華が俳優として新基軸を打ち出

          コメディエンヌ伊藤万理華の真骨頂、隠れた名作「私たちも伊藤万理華ですが。」

          「もっと超越した所へ。」恋の無間輪廻からの解脱。

          公開前の宣伝文句にも使われていた「クズ男」たちに翻弄される4人の女性の物語ですが、男連中はクズというより「男社会の落伍者」なのではないだろうか?と思った。男は集団の中で必ずしも成熟しない生き物だが、集団の中にいれば何だかんだ言っても忙しく働くものだし、貫禄なんかも出て来る。で、それを成熟だなどと勘違いできる能天気な生き物でもあると思う。 それに対して、劇中に登場する男4人は友達もいなさそうだし、言い訳ばかりだしおよそ成長や成熟とは程遠く「成熟から疎外された孤独」の中に生きて

          「もっと超越した所へ。」恋の無間輪廻からの解脱。

          「サマーフィルムにのって」そしてハダシは「映画」になった

          「サマーフィルムにのって」 この作品を観て、ハダシ役の伊藤万理華の目が眩むような輝きを放つ存在感に衝撃を受けてからかれこれ2か月以上経つが、未だに高揚した感情が私の中で渦巻いている。 ブルーレイディスクも購入し万全の体制で繰り返し作品を視聴。視聴する時間が無い時は彼女の他の出演作品「お耳に合いましたら」や舞台配信 「もっとも大いなる愛へ」乃木坂46時代の個人PV作品(「はじまりか、」は 驚異的 だ。)を繰り返し鑑賞しては感嘆するという幸せな日々を堪能している。 しかしなが

          「サマーフィルムにのって」そしてハダシは「映画」になった

          「サマーフィルムにのって」の絶望と光

          「この作品は永遠に会うことが出来ないかもしれない最愛の存在へのはなむけを映像化した作品なのだ。」 そう考えるとこの作品がもつあまりの切なさも説明がつく。なにしろハダシは黒澤にとっての三船に匹敵する最高の主演俳優であると同時に、最愛の人でもある凛太郎、そして「自身の初監督作品」の3つを同時に失ってしまうのだから。 なんと絶望に彩られたラストシークエンスなのだろう。ここまで過酷な設定はそうそうない。しかし、この壮絶なラストシークエンスに過度の悲壮感が漂わないのは、その後数々

          「サマーフィルムにのって」の絶望と光