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”シン”の定義を考えてみた

唐突だけど”シン”の定義について頭の中にゴロゴロしていた物がテキストにまとまったので公開してみる。

1."その物"の持つ”本質”、すなわち"真"であり"芯"をさらけだすもの
2.現時点で考えうる最高の見せ方で最もカッコいい"その物"を”新”しい手法で見せつける
3."その物"の最高を見せたがゆえに、”シン”は"その物"の終焉、トドメとなる

3.については1点補足が必要だ。すなわち”シン”の意味するところは、庵野監督が”その物”に対して"満足感"を得るための物であり、庵野監督が"その物"に対して自ら与えた"引導"なのだ。

誤解してはいけないのは、つまり庵野監督自身の思い入れの深い物だけが”シン”になり得るのであり、安易な”シン”は生まれない。

以上の定義から考えると、これからも庵野監督自身が手掛ける”シン”は続いていく。それは庵野監督の求めた”その物”の”シン”の姿である。

"シン・ゴジラ"

が描いたのは庵野監督の中でのゴジラの本質であり、ゴジラとは何だったのかを明確にし、そしてそれを最高にカッコよく見せるとこうなる、を具体的に提示してみせた。

”シン・エヴァンゲリオン劇場版”

では、自身の思い入れの深かったエヴァンゲリオンをもその本質に向かい合って、”新”しい手法を使い、現時点で見せうる最高にカッコいい見せ方でかつエヴァンゲリオンに引導を渡した。

これからの"シン"

”シン・ウルトラマン”(脚本のみ)、”シン・仮面ライダー”はこれから見られる物なので、これらでどこまで”シン”の定義が見えてくるかが興味深い。そしてこれらの"シン"の後に続く"シン"はあるのか?

これらに続く"シン"は、これまでの定義が正解だとするならば、やはり庵野監督自身の思い入れの深い過去作になるのであろう。真っ先に頭に浮かんだのは庵野監督の好きな作品の1つでもある”宇宙戦艦ヤマト”だ。これは大人の事情がクリアできれば実現はあり得る話だが、近年リメイクした新作ヤマトにある程度納得していれば生まれない可能性はある。

ではこれまた庵野監督の好きな作品として有名な”機動戦士ガンダム”はどうか?これについては富野監督自身が”∀ガンダム”というある種の”ガンダム最終章”でありを1つの区切りとして提示した点と、エヴァンゲリオン第1話がガンダム1話を超えようとしてそして越えられなかった物である事から生まれない可能性は高そうだ。

”風の谷のナウシカ”は各所で噂の1つとして出ていた次の"シン"候補だ。可能性があるとするなら、庵野監督自身が当時劇場版の制作に携わっており、巨神兵の戦いを描こうとして描かなかった事に対して不満を持っていたとするエピソードがあるため、それを描くために実現する可能性はある。ただ思い入れの深さがどこまであるのかが見えていないため、思い入れ次第といったところか。

自身が過去に手掛けた作品から出てくる可能性はあるか?現時点で表に出ていないが、エヴァンゲリオン以上に思い入れのあった作品があるならば可能性はないこともない。

もし庵野監督が意外と”徹子の部屋”をずっと見続けていて思い入れが深かったとすれば、ひょっとしたら黒柳徹子氏の死後、過去映像全てを使った庵野監督の演出による”シン・徹子の部屋”が放送される可能性は考えられる(というオチ)。

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