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【インタビュー】息子と一つになる ~息子を亡くした友人の心の軌跡~ ①


「こうやって笑顔で語れる日が来るなんて思わなかった」
アサミさん(仮名)はインタビューの中で感慨深げに呟いた。

アサミさんとの出逢いは、今から15年ほど前にさかのぼる。
子どもの幼稚園バスの送り迎えの時に、息子のトモくんが乗ったバギーを押すアサミさんと会うようになり、挨拶を交わすようになった。
太陽のような笑顔が印象的な女性だった。

トモくんは生まれつき肢体不自由で発語がなかったが、豊かな表情と天真爛漫な笑顔で周りを明るく照らすお子さんだった。
幼稚園児たちはトモくんを見つけると「あ、トモくんだ」と駆け寄った。「トモロヲ、嬉しいね」とその様子を見守るアサミさんからは、息子への愛情がいつも溢れていた。

その後、アサミさんには、2012年に私が友人たちと主宰した上映会&講演会の手伝いをしていただき、その時に出逢った國學院大學の柴田保之先生が、重度重複障がい者の言葉を読み取る介助付きコミュニケーション(筆談・指談)の研究をされていたため、トモくんの言葉を読み取ってもらう機会に恵まれた。
トモくんが小学校5年生の時のことだ。
その場に立ち会わせてもらった私は、生まれて初めて自分の言葉を表現することができたトモくんの喜びの表情と涙を目の当たりにして、深い感動を覚えた。と同時に、言葉をいつでも発することができる私は、自分の思いをちゃんと人に伝えているだろうかと考えさせられた。

そして、2016年3月19日、トモくんはインフルエンザから肺炎を併発し、14歳という若さで突然この世を去った。最期は、医師がトモくんに付けられていた管を全て外し、トモくんは大好きな母の腕の中で息を引き取った。
亡くなった日、アサミさんから「会いに来てほしい」と連絡をもらい、最愛の一人息子を亡くした友人と向き合う勇気も覚悟もないまま、震えながら自宅に向かった。

その日を回想して書いたエッセイはこちら。

あれから3年半の歳月が流れた。
最愛の我が子を亡くして、崩れ落ちそうになるほどの深い悲しみの底にいたアサミさんは、少しずつ日常を取り戻し、笑顔が増えていった。持ち前のセンスを生かして友人宅を素敵に変身させ、息子に供える花のアレンジを楽しみ、ヨガを再開、子ども食堂でボランティアを開始、2万歩ウォークを達成、山登りをした。

アサミさんの歩みをそばで見てきた私は、彼女の人生が大きく動いたこの一年を文章にまとめたいと思い、インタビューを通してその歩みを振り返ってもらった。
泥に咲く蓮の花のような彼女の心の軌跡をここに記したい。

■自分の感覚を大切にする

昨年の9月から月に一回のヨガ気功に通い始めて、一年が経とうとしていた。
アサミさんはその日、息子の吐息を感じながら早朝5時前に起床した。幸せ過ぎて二度寝はできず、しばらく余韻に浸りながらゴロゴロした後、家事を済ませてヨガ気功に向かった。
アサミさんは、ふとした直感に従い、その日、初めてのことを二つ行なう。

一つ目は、ユニクロのヨガウェアを着て出かけたこと。
普段は、教室に着いてからヨガウェアに着替えていたが、徒歩圏内のヨガ教室に参加していた時にはヨガウェアで行っていたことを思い出し、「電車に乗るというだけでなぜちゃんとした服で行かなきゃと思うんだろう。誰も私のことなんか見ていないのに(笑)」と思い至る。
二つ目は、ヨガ気功をやる場所を変えたこと。
いつもは左側の入り口付近でやっていたが、その日は何となく右奥でやりたくなった。やってみたら、気の流れがいい感じがして、この場所がしっくり来た。

「昔の私は、9月になったら、どんなに暑くてもブーツを履いて、6月になったら、どんなに肌寒くてもノースリーブを着ていた。同じ服をまた着ていると思われるのが嫌で、365日分の洋服を持っていたこともある。それが私のおしゃれのモットーだったけれど、ユニクロのヨガウェアを着て電車に乗った自分が今の自分なんだと感じたら、これは横着しているとか手を抜いているとかではなく、やっと、ある意味、本当の自分に自信が持てたんじゃないかと思った」

『今ここ』を感じるということを、やっとここ何ヶ月かで実践できているのに気づき、ヨガ気功クラスもそんな自分にいい影響を与えてくれているのを体感している。
「50手前でそれにようやく気づいたのはちょっと恥ずかしい気もする」
とはにかみながらも、それまでは目の前にやることがあり過ぎて、そんな心の余裕もなかったと振り返った。全てに介助が必要な息子との日々は、入退院も多く、毎日を生きるのに必死だった。ジムで運動をしていたのも、介助に必要な筋力を維持するためだった。

今のアサミさんからは、自分の感覚を大切にして生きようとしているのを感じた。アサミさん自身も、その生き方を選択してみて楽になったと言う。無理をしなくなってきたのだろう。

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■トモロヲと一つになれた

直感に従い、初めてのことを二つ選択したアサミさんは、心地よい安らぎを感じながらヨガ気功を終えた。教室終了後、インストラクターのマイさんに声をかけられた。
セラピストでもあるマイさんは、その日のアサミさんの様子から、ある女性を思い出し、その女性の話をした。

その女性は、6年前に母親・婚約者をほぼ同時期に亡くし、自暴自棄に陥り、自殺を試みたが、寸前のところで命を取り留めた。「死にたい。生きていけない」と言っていたその女性は、知人の紹介でマイさんのセラピーを受けた。6年ぶりに偶然再会したところ、その女性は圧倒されるほど元気になっていた。その理由は「私はもう一人じゃない。彼も母親も私の中にいる。一つになれた」からだった。

それは、アサミさんがこの一年で得た結論とまさに同じだった。
「今、生かされている私の中に、トモロヲは確実に生きている。もう失うものがないから死に対する恐怖は全く感じないし、もし明日死んだとしても何の後悔もない。大好きな息子が迎えに来てくれるから。失うことのないかけがえのない存在が常に私の中にある。この境地に至ったのは、一年前から続けてきたカウンセリングやセラピー、瞑想のおかげだと思う。今朝、トモロヲがそのことを伝えてくれていたんだと思うと、完璧な息子に感謝しかない」
アサミさんはそう表現した。

「息子と一つになった」というアサミさんの境地を一番最初に言語化したのはカウンセラーのオオノ先生だった。
昨年12月にスタートしたカウンセリングでは、ずっと辛い話ばかりをしていたが、その後、アサミさんは、今年の5月には屋久島、6月には旭川を旅して、その旅の話をした。
「アサミさん、トモロヲくんと一つになれたのね。一つになれたからどこにでも行けるようになったのよ」
とオオノ先生に言われてハッとした。
たしかに、亡くなった当初は、買い物に行くことすら不安だった。留守の間に息子の遺骨に何かあったらどうしよう。火事や地震がきたら、トモロヲとの思い出が全て消えてしまう。そんな思いが常に彼女の心を占めていた。
「そうか。トモロヲと一つなんだと感じられるから、旅行にも行かれるようになったんだ」と腑に落ちた。

屋久島は、友人に誘われて昨年の5月に行く予定だったが、事情があって流れた。
「それも今思えば意味があったんだと思う。まだ行くことに迷いがあったのかもしれない。今年の5月は迷いがなかった。迷いがなくなったのは、『今ここ』に居られるようになったからだと思う」
と言った。

『今ここ』に居られるようになった理由は何か。
「ゆっこちゃん(筆者)が友人と開催したHAPPYちゃんのDVD上映会、ネンコ(北村年子)さんの瞑想講座、マイさんのヨガ気功。どれも『今ここ』の大切さを教えてくれた。『今ここ』を学んで実践し、セラピーやカウンセリングを受けたことは大きい。息子を亡くしてからの2年半は『今ここ』に居なかった。あの時、近所の小児科ではなく、すぐに大学病院に連れて行っていれば…とか。『たら、れば』でずっと後悔し続けていて、過去に留まっていた」

そして、アサミさんは、カウンセリングを体験して、「人に話す。打ち明ける」ことがとても大切だと分かった。
亡くなって間もない頃、自助グループに参加することも考えたが、初めて会う人たちの前で果たして自分は話せるのかという不安の方が大きくて、結局、踏み切れなかった。話せないし、泣いてしまうだけだと思っていた。
しかし、実際にオオノ先生のカウンセリングが始まったら、「話せばいいんだ、泣けばいいんだ、怒ってもいいんだ。自分が好きなことをすればいいんだ」そう思えた。だから、毎回、何を話すかも決めていないし、オオノ先生には包み隠さず何でも話せる。話すことで自分の毒をすべて吐き出す感覚があって、とても楽になった。

「トモくんと一つだという感覚に至ったのは、毎日お経を上げているのもあるのでは?」
と尋ねてみると、
「たしかにそうかもしれない。ゆっこちゃんも瞑想をしていると言っていたけれど、私にとっての瞑想は、毎朝、大好きなオペラを聴きながらコーヒーを飲んで、お経を上げることなんだと思う。般若心経を唱える時は、トモロヲと向き合って、ある意味会話をしている。手を合わせていると、手がじんわり温かくなってきて、私の手をトモロヲが包み込んでくれているような気がする。ただ、お経を上げる時間は決めていない。自分がしたいタイミングでやっている。時間を決めると、お経を上げることばかりに気が行って、トモロヲと一つになるという目的が変わってしまうような気がするから」
とアサミさんは答えた。

『今ここ』に居る状態になるとアサミさんはどのような感覚になるのか。
「一つという感覚。それは魂の世界。宇宙空間に存在している光と光が手をつなぎ合っているというのが胸の中にあって、そこでトモロヲと一つなんだという感覚が常にある。今はそう思えることで安心できる」
アサミさんの中に生まれた、美しく豊かな世界だ。

■憧れの高野山へ

旅の始まりは、昨年7月の高野山だった。
真言宗の総本山だから一度は行きたいという強い憧れがあった。
「ゆっこちゃんがくれた般若心経の絵本の影響も大きい。絵本に出てくるシャーリープトラがトモロヲにしか見えなかった。あんなに大泣きした絵本はない」
と語った。かくいう私も、シャーリープトラがトモくんと重なり、その絵本をアサミさんに贈った。

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アサミさんは、母親に高野山行きのツアーに誘われた。日にちは7月21日。息子の月命日の19日、誕生日の7月23日のちょうど真ん中ということに大きな意味を感じて、行くことを決めた。
念願の高野山に来た時、「やっとここに来られた。トモロヲが今いる世界に近づけた」と思った。

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息子と一つになる② へつづく




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