複合的構成(空間の重複)広瀬典丈
「いけばな春秋」今回も空間分割の話です。まずは枕。
幕末~明治中期、俳諧は隆盛を極め、「駄洒落・例え話・教訓」調が跋扈。明治新政府はその風潮に乗って俳諧宗匠を宗教道徳官吏「教導職」に任命します。俳諧を生業とする限り迎合して権威を得たい心情は、いけばな生業の私達にも切実ですが、子規が攻撃した月並句の親玉、穂積永機はそれには関わらず、子規の死の2年後、辞世句「煙消えて灰消えて終にものもなし」を残しました。常套に依らない一物仕立ての無季ですが、「安出来の見立て」とは言えぬ率直さで、これを月並句とは私は考えません。
子規の末期句も一つ紹介します。「糸瓜咲て痰のつまりし仏かな 」、永機は一物仕立て、子規は「糸瓜咲て」と「痰のつまりし仏かな 」、目線を上げず切れで分かれた空間をただ行き来するのが子規の言う即時なのでしょう。
一物仕立てはいけばなにもありますが、主材・客材で分かれるいけばなが多数。片身替わりでは、二空間でさらに切り分けて場を切断します。「複合的構成」は、私が提案するもう一つの空間二重化の方法です。
主材・客材に第3の花材(副材)を、主材とは別空間を作るような骨組みで加えるのが複合花。上画像のように、見る側の心理で主・副の「地と図柄交換」や筋違え・場面転換をともなう重複空間が生まれます。
主材・副材が、それぞれ客材を取り込んで地と図柄の反転=空間の二重化を招くには、一方が上下なら他方は前後というような空間の方向性を分ける切り返し、花材の対照性の演出が必要です。「複合花」→広瀬テキスト50p
参考文献
※『子規は何を葬ったのか―空白の俳句史百年』今泉 恂之介 新潮選書(2011/8/1 )
※『子規の宇宙』長谷川 櫂 著 角川選書 (2010/10/25)
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