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一読総合法で走れメロスを読んでみる


数年前の授業の記録。オンラインの授業。
国語科教育法の前期の授業は、この日を入れて後3回。

今日は、先週時間切れになってしまった「走れメロス」の一読総合法の実際から。学生たちは初めての経験がほとんど。一回読むだけで読解ができるのだろうかという表情と、一読総合法に対する興味の顔がモニターの向こうに並ぶ(^^)。

テキストを青空文庫に求めて行うことにした。

https://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/1567_14913.html

「それでは、新しい単元の教材『走れメロス』をやっていきましょう。タイトルは「走れメロス」で作者は太宰治さんですね。このタイトルは何を言っているのでしょうか?」

学生たちは、へ?という顔をしている。まあ、そうだ。タイトル読みはほとんどしないからねえ、三読法だと。

「単語だと、走れとメロスに分けることができますね。メロスというのは、この物語に出てくる人の名前でいいでしょう。通常、タイトルに入っている人は主人公であることが多いと思います。ですので、ここではこの物語の主人公だと思うと仮説をてておきましょう」

「問題は、走れの方です。この走れは何ですか?」

「走るという動詞の命令形です」

「そうですね。走らない、走ります、走る、走る時、走れば、走れ、走ろうという五段活用動詞の命令形でいいでしょうね。いや、そうじゃない。これは走るの連用形で、「ば」が、省略されているんだという人はいますか(^^)? または、四段活用動詞で已然形であるとか、はしれではなくて、わしれなんだという人はいますか(^^)? まあ、走れ(はしれ)でいいでしょうね」

「問題は、この走れと命令しているのは何者かということです。みなさん、メロスに走れと命令しているのは何者ですか?」

モニターの向こうに確認してみると、ほとんどがメロス自身がメロスに向かって命令しているという答えであった。

その中で違うのではという手が挙がった。

「はい、Tさんどうぞ」

「メロス以外の人ではないかと思います」

「どういうこと?」

「メロスに走ってくれとお願いしているんじゃないかと。読者たちがそう言っているんじゃないかなという気がします」

他の学生たちは、ああ、そういうこともありうるかと驚いた顔をしている。

「なるほど。小説に向かって応援しているのね」

「はい」

「さて、他にいますか? いないですか。この命令をしているのは何者でしょうかね。これは読み進めながら考えていきたいと思います」

「で、走れと言われているメロスですが、ということはメロスはどんな状態なのですか?」

「?」

「走っているのか、走っていないのか?」

「あ、走っていません」

「そうですね。走っていれば、走れなんて言わないですものね。頑張っている人に、頑張れって言わないのと同じですよ。ということは、メロスは走らなければならないにも関わらず、走れていない状況がこの物語に出てくるということでしょうか。そして、そこがこの物語の山場の一つになっているのではないでしょうか。

さ、本文に入りましょう」

一読総合法は、こうやって問いを立てながら読んでいく。学習者も問いを立てて読んでいく。そして、その問いを解決しながら読んでいく。これが楽しい。

この頃は、一二回生のゼミを持っていないが、そこを持っているときは、実践記録や理論書を講読していた。そのときは、実はこうして一つ一つの言葉にこだわって読み進めていっていた。さっと読み進めることをしない。言葉が示している概念を追いかけながら確認しながら読む。生活用語としての単語と科学用語としての単語が同じ顔をして文章には出てくるが、それを吟味して使えるようにするためには必須のレッスンだ。

面倒臭いといえば、面倒臭い。しかし、こっちの方が圧倒的に面白いと学生たちはいう。

「『メロスは激怒した。』とありますね。怒ったんじゃないんです。激怒したんですね。この違いはわかりますか?ま、日頃では考えられないぐらいの怒り方をしたんでしょうね。これを表す慣用句は知っていますか? 怒髪天を衝くですね。本文の最初からかなり怒っているのがわかりますね。

でも、なんでメロスはこんなに怒っているのでしょうか?『かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。』とありますね。「かの」ってことは今の言葉では「あの」ですが、メロスは何かを知ったのでしょう。そして、それをする王様は、邪智暴虐ということ。まあ、この漢字だけ見ても酷そうな感じはしますね。邪(よこしま)な智で、暴れて虐げるってのですから」

「メロスは、村の牧人で『羊と遊んで暮して来た。』とありますね。これはどういうこと? 羊を追いかけたりかくれんぼしたりすること? そんなわけはないですね。気楽に生活することを遊んで暮らすというのですよね。羊の背中に乗って牧場を散歩しているわけではないですよ(^^)。」

「『けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。』とありますよね。これはどういう意味?」

「悪いことに対しては、他の人よりも敏感でしたという意味です」

「なんで?」

「人一倍とあります」

「一倍でしょ? 1×1はいくつ?」

「1です」

「でしょ。じゃあなんで、人一倍なの?」

「......」

モニターの向こうでOさんの手が挙がる。

「はいどうぞ」

「昔は、1倍は2倍の意味があったとき聞いたことがあります」

「え、本当なの? すごいね。そうなんだよ。2倍だったんだ。奈良時代ぐらいからそうだったんだよ。よくこれで計算が間違えないよね(^^)」

https://japanknowledge.com/arti.../blognihongo/entry.html...

「他にも、二股ソケットとか八岐大蛇なんてのも見てみると、二股ソケットは股は一つしかないし、八岐大蛇は八つの首はあるけど、やっぱりマタはなんつしかないんだよね。こういう風に日本語の数詞には面白いものがあるので、興味を持った人は、後で調べてみるといいよ。

「『きょう未明メロスは村を出発し、野を越え山越え、十里はなれた此のシラクスの市にやって来た。』とあるね。ここからメロスは、朝早く村を出てきたのがわかる。途中で宿泊してやってきたのではないのがわかるね。どのぐらいの距離なのかも書いてある。十里だ。日本と中国では一里の距離が違うけど、日本では大体4km。そうすると、40km。ほぼ、マラソンの選手が走る距離だ。トップランナーだと2時間8分。まあ、野を越え山越えだから、こんなに早く走れないけれどもね」

「ちなみに、圏内を表示できるサイトがあったので、大学から40km圏内を確認してみました。こんな感じですね。ま、結構大変か(^^)」

https://www.cloudwoods.jp/hankei/pc/

「『メロスには父も、母も無い。女房も無い。十六の、内気な妹と二人暮しだ。』とありますね。兄弟だけなんだ。お兄ちゃんは、妹を守っていかなければならないわけだ。ま、その割には遊んで暮らしているんだけどね(^^)。妹が16歳ということは、メロスは何歳ぐらいかねえ? 最低で言えば16歳。だって双子もありえるからね(^^)。 上は? まあ、10歳ぐらい離れているのもありえるかねえ。断定はできないけれど、10代後半から二十代半ばぐらいということは言えそうかな?」

とまあ、こんな感じで最初の部分だけを、実演してみた。

学生さんの感想です。

本日の授業では、『走れメロス』の一読総合法をした。初めて一読総合法をしてみて、問いを立てながら読むことがとても楽しかった。これまでの学生時代の国語の授業をほとんど三読法で学んできたため、もっと早く一読総合法を知りたかった。池田先生の、「ここまで読んで、なにか質問はありますか。」という学生への確認があり、一読総合法で生徒に質問の有無を確認することが重要だと感じた。また、三読法よりも丁寧に読み進めていくため、語彙力が身に付いているという実感があった。一読総合法は問いを立てながら読むため、教師の読解力が問われるのではないだろうか。私が国語の授業をするなら、分析的に読む三読法の授業だけでなく、生徒たちと考えながら読む一読総合法の授業もしてみたいと感じた。

 『走れメロス』の「人一倍」の発問で、私が挙手をして意味を答えた際に、池田先生が二股ソケットやヤマタノオロチの具体例を出されていた。後に話す・聞くについて学ぶと、これは話題を広げるためのフォローがなされていたことだと分かりハッとした。また、コミュニケーションの根本は聞くことだと学び、子どもたちの話がきちんと聞ける先生になりたいと感じた。そして、池田先生のように、教師がおいしい話を言うのではなく、子どもに光を当てられるような先生になりたいと感じた。

私は一読総合法の授業を初めて受けましたが、こんなにわかりやすいのかと驚きました。はじめのタイトルの説明をこんなに詳しくやったことがなかったのでとても貴重な体験ができました。

そして、自ら問いを立て読み進めていくことで「上のメモ」を取っている感覚がわかるので、高校・大学に進学したときに役立つ能力を養うことが自然とできているのではないかと考えました。

今、違う講義で古典の物語をしているのですが、ぜひ池田先生に一読総合法で授業していただきたいです。(笑)

今回の一読総合法は忙しいと感じた。池田先生の講義を受けてメモの取り方について工夫はできているが、もし高校が一読総合法で進められたら授業に着いていくのに精一杯になると思った。しかし、生徒に問い掛け、題名であんなに疑問が出てくるとは思わず、面白かった。

「走れメロス」は読んだことがあるから答えられるところもあったが、「言われてみればなんだそれ」というところに着目できた。「走れ」に関してあんなに追及できるのか。と思った。

特に面白いと感じたのは「人一倍」だ。この講義を受けるまで人一倍に何の違和感も無かった。言われてみれば1×1=1だ。Oさんが「なぜ」に答えているところから、生徒が考えながら授業を受けている姿勢も伝わってくる。また、意欲・態度の評価にも繋がると思った。

今回、私は「一読総合法」を体験して、先生のお話されていた、【三回読まない分、一回分が長くて濃い】ことを実感したと共に、一読総合法は、「自然と集中できる環境」を作ることができるとも思った。

 私は、三読法で今まで国語の授業を受けてきたが、どうしても、サラッと流し読みしてしまう。それに加え、先生の投げかける「問い待ち」になってしまっていた。しかし、一読総合法は、常に問いかけてゆっくり進めていくため、集中して取り組む姿勢ができると思った。また、「先生からどんな問いが来るのか」と先周りして、自分の中で新たに問いを作って、考えていくことができる。【題名読み】の面白さも、実際に自分が授業をする立場で行うと、より面白さを実感できるのだろうと思った。

ここまでがこの日の前半です。

参考論文

「学習者の思考過程に着目した論理的思考力育成方法としての一読総合法の再検討」幸坂健太郎(2012)
https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000002-I024237119-00

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