「雨を感じれるか。」
先日読んだ寺山修司著・「あゝ、荒野」で
新宿にある日本生命のネオンを観て心を打たれている新次に、
「あれはただの会社の広告で、どんな感じ方をしようが結局保険に加入しなさいとしかいっていないんだよ。」とサラリーマンが冷笑した。
それに対して新次が
「馬鹿野郎!お前の解釈なんて聞きたかねぇよ。俺には俺の読み方があるんだ。」
と言い放ちブチ切れしたシーンがあった。
昨日投稿した映画・「レスラー」ではラストシーンでランディが
「多くの人にもう無理だと言われた。生き急いでいたツケは払う。人生、大切なものをすべて失くすこともある。でも俺はここに立ってる。」
と言ってリングに戻ってきた。
最近読んだ本、観た映画では
孤独と闘う大切さを共通して感じていたんだけど、
物事に対して自分がどう感じるのか?をもっと大切にしようとも思った。
上述した2つの引用はいずれもそれを強く感じれるシーンだ。
新次は「日本」と「生命」という言葉が2つ合わさって新宿の空に電気を付けていることに気持ちが良いといっているんだ。
それなのに、つまらないサラリーマンの解釈を聞いていたら感性が鈍ってしまう。
自分の感性よりつまらない解釈が正しいと押し付けようとしたからキレたんだよね。
ランディはその言葉通り大切なものを全て無くしたかもしれない。
医者にも好きな人にもプロレスをしない方が良い理由を語られた。
確かに反論することができないド正論かもしれないけど、
自分が感じた想いを優先したからリングに戻ってきたんだ。
この二人のように周りがどんな事を言ってきても
自分の感性を大切にしている人はどれだけいるだろうか。
恐らく日本人は少ないんじゃないだろうか。
その他大勢と一緒なことに安心し、同じではない奴は悪と認識するように排他的になり、その結果同調圧力に負けるような人間になる。
その他大勢と違うからといって自分で感じたことを否定する必要はないだろう。
正論を言われたからといって自分で感じたことを否定する必要はないだろう。
多数派の意見や正論は確かに一つの正しさかもしれないけど、自分で感じたことだって一つの正しさだ。
自分の感性を曲げる必要は無いし否定される筋合いもない。
そんなくだらないもののせいで感性が鈍っているから、
良いものを感じれないだけじゃなく、
明らかにおかしい違和感にも感じれないんだ。
だから、もっと自分で感じたことを大切にするべきなんだ。
偉大なレゲエミュージシャン、ボブマーリーは
と言った。
感性を大切にすれば物事の見方だって変わるんだ。
単調で味気ない世界が好奇心に溢れるカラフルな世界に変わるんだ。
感性を磨けば様々なことに感じれるようになるんだから、
他の人が気が付かない違和感など様々なことに気が付けるようになる。
もっというと、誰も気が付かなかったチャンスにも気が付けるようになるんだ。
良い流れや運が巡ってきたときだってそれを感じれるようになるんだ。
雨を感じれるか?ただ濡れるか?
別にどっちでもいいんだけど、
周りの意見なんか気にしないで感性磨こうぜ。
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