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怪物だーれだ?~映画『怪物』を鑑賞して~


この記事は映画『怪物』のネタバレを多分に含みます。
が、わたしの語彙力や表現力により本当にネタバレになっているかはわかりません。
本編の内容に言及しまくっています。
問題のない方はどうぞ読み進めてください。
わたしの推しである加藤シゲアキと佐久間宣行はネタバレなしで観に行った方がいいと言っていました。(すぐいらんこと言う)
ネタバレというか、他人の先入観なしで、まっさらな状態で観てもらいたいというのが正しいかなと思います。
では、どうぞ。


















映画の予告で印象的な部分と言えば
「怪物だーれだ?」
ですよね。
あの予告によって、どうしても最初は「誰が怪物なのか」という視点で観てしまっていたんですが。
誰の中にも怪物はいる。
そういうお話だったように感じます。
いきなりラストに言及してしまいますが、ラストも解釈分かれますよね?
わたしは湊くんも依里くんも亡くなってしまったんじゃないかと思ったんですが、先に観た人から「なんかちょっといい話だったよね~」とLINEがきて、いい話……!?と混乱しました。
いい話で済ませられなくないか!?
その人は二人は亡くなっていなくて、精神的な生まれ変わりをしたというラストと解釈したのかもしれない。
わたしの解釈も個人的な解釈なので、もちろん生きているかもしれないし。
台風一過とは言え、世界はあんなに輝くかね?
二人だけの世界に行ってしまったんじゃないかと……う~ん。
これ、パンフレットに答え書いてあります?(とりあえず映画を観ただけ)
わたしのその先の妄想では、亡くなっていても生きていてもあまり……こう……しばらく世界は思い通りにいかないと思うんですけど。

最初に書いた通り、誰にでも無意識ともとれるような怪物が潜んでいるんじゃないかな……と。

湊のお母さんは、シングルマザーとして必死に働きながら、息子を立派に育てたいという気持ちが強いあまり「可哀相」と直接湊に言ってしまったり、「お父さんみたいに」を繰り返して「同性が好きなのかもしれない」と悩み揺れ動く湊を苦しめる。
そのお父さんが不倫中に事故死ってことで認識は合っているんだろうか?
お母さんはその事実を理解しながらも、自分が愛したお父さん像を守りたいのかもしれないな。

湊は依里を大事にしたい。一緒にいたい。でも、クラスという集団行動の中ではどうしても思い通りにいかない。依里を遠ざけてしまう。そんな自分と周りへの対処がわからず暴れてしまう。
幼さ故、の部分も大いにありますよね。

依里はその愛らしさと動じない強さ。そして、「お酒は体に悪いんだよ」とビルに火を放ってしまったり、「これじゃ生まれ変われないかも!」と有り合わせで猫を火葬しようとする無邪気さ。
燃やすことで生まれ変わることができると純粋に信じているんですよね。

保利先生は……保利先生は可哀相だよなぁ。でも、強すぎる正義感が周りを圧迫すると言うか、自分が正しいと思ったことと自分が愛したものに真っ直ぐすぎる。じゃなきゃ、あのタイミングで飴食べないよ。でも、あの感じだと精神的にもだいぶキてたんだろうなぁ。
保利先生だけが事態を掻き回したわけじゃないしね。
最終的には湊のお母さんの車に同乗しているので、ある程度の誤解は解けたのだと思います。はい。

校長先生は、わたしは一番よくわからない人だったな……。アンバランスというか多面性というか、1つの物事が他の物事とうまく結び付かない。
孫の写真を見えるように置く、子どもに足を引っ掛ける、夫に孫の思い出話をする、孫と墓が分かれることをわずかに渋る、ラスト近くの湊への対応。
でも、人間って本来そういうもので。
うまく言えないけど、真っ白のカードの裏が必ず真っ白とは限らないと言うか、黒だって赤だって青だってあるわけで。こちらから見て球体に見えても反対から見れば円錐に見えるみたいな。
何よりわたしはエンドロールの最後の方で、校長先生の「誰でも手に入れられるものじゃないと幸せじゃない」という言葉を思い出して泣いていました。
その発想はなかった。

わたしは、シゲがジャニーズwebの連載に書いていた「どのような選択をした人間にも幸福になる権利はある。僕もあなたも。」を待受にしているんですね。(突然の自担語りすみません)
待受にしておきながら、幸福とは幸せとはって考えちゃって。
うつ病でお金もなくて生きる気力もなくて。
活力になっていたアイドルも今は好きの波と本当に好きなのか?の波の繰り返しで苦しくなることがあって。
だからこそ、「誰かしか手に入れられないものは幸せじゃない」という言葉が響きました。
ただ、ここをさらに掘ろうとするとまた「じゃあ、誰しもがすでに手に入れている幸せって生きるということ?生きるのがつらい時はどうすれば?」という問いが出てくるので、この言葉の深堀りは一旦置いておきます。

湊くんと依里くんが生きていても、依里くんはおそらくお父さんの管理下だろうし(湊くんのお母さんや保利先生が児相に相談してくれるかな…)、いじめは続くだろうし、学校の体質は変わらないだろうし。
もう何も失うものはない保利先生がガムシャラに働きかけてくれたら、救われるんだろうか。
湊くんと依里くんのあの空間だけは幸せであって欲しいと思うけど、冒頭お母さんが湊くんに言っていた通り「まだ子どもじゃん」なんですよね。
まだ子ども。
二人のこの友情と愛情がこの先も続くかどうかなんてわからない。
まだなにもかも不安定で素直で擦れていなくて、これからどうとでもなる二人。
これから二人がもっと凶悪な「怪物」になる可能性だってある。
なぜなら、人の中には誰だって「怪物」の部分があるから。
いろいろと考えさせられる映画でした。

観た直後に映画館横のカフェで書き散らして、軽く推敲しただけの文章なのでお見苦しいところがあったら申し訳ないです。
映画についてまた書きたいことがあったら書こうと思います。
そうそう、「男の『大丈夫』と女の『また今度』は信じない方がいい」は義務教育で教えてもいいかもしれません。(あの伏線回収好きだった)

#怪物 #ネタバレ #映画

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