インド独立の父ガンジーの教え
インド独立の父ガンジーの名言にゃん
西インドの小藩主国の大臣の長男として生まれるにゃ。
ガンジーは13歳で、両親の決めた同い年の少女カストゥルバと結婚したにゃ。
ガンジーって児童婚にゃったんだ。
でもガンジーは自伝でこう振り返っている。
私はカストゥルバを溺愛していた。学校にいるときも始終彼女のことを考えていた。
いいイメージがない児童婚だけど、こうやって幸せになれる人もいたんにゃねー。
ガンジーはロンドンに留学して弁護士資格取得するんにゃ。
インド帰国後、訴訟事件の依頼でアフリカへ。そこで差別を受けたことがきっかけとなり、在住インド人の差別撤廃運動を組織し22年間戦う。
1915年帰国後民族運動の指導者として活躍するんだ。
塩の行進など非暴力・不服従運動を貫くにゃん
「塩の行進」にゃ?
当時インドでは塩は自由に作ることができず植民地当局による専売制がしかれていたにゃ。
イギリス政府はその当時、塩に専売制を敷いていてイギリスが作った塩しか売ってはだめだとしていたにゃ。
そしてその塩に高い税金をかけて庶民を苦しめていた。
でもガンジーは、たとえそれが不当な制度だったとしても、税金の不払い運動などはしなかったんにゃって。
聖人って呼ばれるのも納得だね。
自分たちの足で海岸まで歩き、自分たちの手を使って海水を煮つめれば塩が手に入る、この手足を使って必要なものは手に入れられるいうことを示して、インドの人々に自信を取り戻してもらう道を選んだにゃん。
ガンジーとその支持者たちは、塩を作るためにグジャラート州アフマダーバードから同州南部ダーンディー海岸までの約三八〇キロの道のりを行進します。これが「塩の行進」にゃんだって。
イギリス政府はその人々に弾圧を加え、海岸に向かう無抵抗の人々を殴るんにゃ。
その映像が世界中に流れ、世界の非難の声がイギリス政府に向けられて、最終的にイギリスは、インド人が塩を作ることを認めざるを得なくなだたんにゃって。
イギリスは塩でインドを支配していたんにゃね〜。
ガンジーはインド独立の礎を築いた偉大なインドの父と呼ばれるのにふさわしいんだ。
今日の教訓
明日死ぬか生きるかは自分が決めれることではにゃい。
でも、今日を一生懸命生きることは自分で決められることにゃ。
動物は食べることができなくなったら死んじゃうにゃん?
一生懸命生きるって、美味しいご飯が食べられることも含まれているんだと思うにゃ。
一生懸命生きていない人なんていないんだ。
今日もしっかり味わうにゃーん♪
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