死にたくて、海で朝日を見ることにした。


 死にたくて、海で朝日をみることにした。車に乗って、風を受けて、誰にも邪魔されずに。


 弥生を過ぎた日本の明け頃、私を覆っていたつきものがすべて消えた。それは、人はどういうふうに死にゆくのかとそんなことばかりに想いを馳せた半月前とは明らかに違っていた。そんなところに真実はなかったのだ。固執していたあらゆる執着はまったく息をひそめて、気がつくと悠然と真実を語る大地に、私は立っていた。とてつもないものを見つめる予感がして、背筋がピンと張った。そして、迷うことなく、誰にも気づかれないようにこっそりと部屋を出て、真っ暗な玄関のタペストリーに掛けてある車のキーを手探りで拝借した。家からすぐの海。小さい頃、よくそこで日が暮れるまで遊んだんだ。

 海は本当にすぐ近くで、私は海岸線を免許のない車で走らせた。窓を開けてると、カーステレオでは外国の歌手がLoveとLibertyを歌っていた。海の黒が少しずつ透明に色をつけた。三羽のメダイチドリとカモメが車の横を通り過ぎて、それぞれ違う鳴き声がなにもない場所に反響した。ガードレールと絶壁の海をすれすれで走ると、波の音が聞こえた。一定だけど毎回違うリズムは、まるで心臓の音だった。すべてが私のための空間で、生きるものすべてに祝福を受けて、私はこれから死のうとしている。

 海岸通りを慣れないハンドルで走らせながら幸せについて考えた。それから「事故にだけは気をつけないと」と自分に言い聞かせて、おかしくなった。けれど、そういうことじゃないんだ。迷惑はかけたくない。私は祝福を受けたこの空間に感謝しているし、それを壊すことはとても野暮だ。生きたい人もいる、それでいいじゃないか。スピードをあげて変わっていく景色の、ひとつひとつの風景にある、何か捉えきれない大切なものを忘れられないように見つめた。空はだんだんと明るんで、私と世界はそのときを今かと待っていた。

 いよいよ朝日が水平線にせまり、目に見えるすべてが輝きだした時間、私は走らせていた車を脇に止めて、少し崖になったガードレールをまたぎ、靴を脱いで座った。冷たい水がくるぶしまで届いて私のぬくもりを奪った。その冷たさは浮き彫りの死みたいで、余分な殻を脱ぎ捨てたそこにある深奥の生だった。


 光が降りかかって眼前を覆った。嫌なことはすべて吹き飛んで、世界には私一人だけが残った。多くは語るまい。私は間違いなく、超然たる何かに出会ったのだ。


 しばらくなのか一瞬なのか、時間が経って、靴を履いた。たぶん今頃父は車がないことに気がついて、姉は私の部屋をノックするだろう。抜け殻のベッドと、空っぽの車庫。
 私は面白くなって、一人で長いこと朝焼けとともに笑った。鳥の羽ばたきといっそう強くなる波のさざめきが、それに加わった。足は冷たくて、体は凍えそうに寒くて、このままだと暖まった魂だけが残ってしまう。
 さあ、帰ろう。

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