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司馬遼太郎の歴史観

1996(平成8)年2月12日、「竜馬がゆく」「坂の上の雲」などの長編歴史小説や、卓抜な紀行文、文化論などで知られた作家の司馬遼太郎氏が72歳で死去した。今日は没後28年にあたる。

膨大な資料をもとにした歴史小説は、フィクションの枠を超え、しばしば史実のように語られる。いわゆる「司馬史観」である。

透明で美しいことば運び

司馬遼太郎の小説の特徴として、リアリティが語られることが多い。その日の天候一つにしても、詳細に文献を調査している。天気専門のスタッフがいることは語り草である。

私は美しい文章こそ彼の最大の魅力であると思う。
心理描写から始まる殺陣シーンでは、筋肉の動きや衣擦れまで感じることができそうな繊細な迫力がある。それでいて、スピード感は失われていない。

ロシアの根っこにあるもの

私が司馬遼太郎の小説に出逢ったのは二十歳を超えてからとやや遅い。「世に棲む日々」で司馬の世界に触れてから、彼の作品を買い漁った。作品の9割はいまも自宅にある。

歴史小説だけではない。例えば「ロシアについて」では、ロシアの外交手法を論じているし、ウクライナとの関係を的確に表現している。
『異民族地帯に乱がおこったときに、救援をもとめてくる一派の勢力に加担し、その一派から出兵を要請されたとして出兵し、そのあと「法を改め政を匡す」』
40年前に書かれたとは思えない。現在の動乱の根本もむしろ現代の解説本より理解させてくれる。


文豪は現れるのか

司馬のような文豪はこれからも出てくるのだろうか。
答えは否であろう。
な彼が天才であったとか、もう小説が売れる時代ではないなどと述べるつもりはない。
司馬は、昭和という時代に必要とされた作家である。時代が必要としないならば、文豪は存在し得ない。youtubeやこのnoteのような表現方法で新たな人材が活躍するのだろう。ダンテやシェイクスピアと同様である。彼らも時代が必要としたのである。

#買ったわけ
#司馬遼太郎

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