見出し画像

歴史を科学する

最近、この本を読んでいます。

私は本を読んでいても、
すべて読み終わるまでは、
記事に書かない主義なんですが、

この本は上下巻で、
1000ページ以上ある大作で、
読了に時間がかかりそうなので、

読み終わる前に少しだけ、
この本のことを書いてみます。

『文明崩壊』は、
かつては栄華を誇った古代文明が
いかにして崩壊したかを
綴ったノンフィクションです。

著者のジャレド・ダイアモンドの本は、
以前にも読んだことがあり、

『銃・病原菌・鉄』は、
ずいぶん前に note のネタにも
させてもらいました。

こんなに書いてたんですね。

これを毎朝書いていたのか
と思うと、自分のことながら、
なんだかゾッとします(^^;

『銃・病原菌・鉄』も
今読んでいる『文明崩壊』も

ジャンルとしては
「歴史」を扱った
ノンフィクションなんです。

私はたまに、
「歴史に詳しい人」
と勘違いされることが
あるのですが、

実際には、そうではないんですね。

歴史に詳しいわけではないので、
あまりにも細かい話だと
ついていけないこともあります。

では、なぜ、
『銃・病原菌・鉄』や
『文明崩壊』は楽しめるのか、
というと、

これらの本では、
「歴史」について、
極めて客観的な説明が
されているからです。

「歴史」というと、
日本では「文系」の分野に
カテゴライズされていますが、

ジャレド・ダイヤモンドの
著作では歴史を語るのに、
「科学」の視点が
取り入れられているんですね。

そんなところが「歴史」に
うとい私には、
理解しやすいのかもしれません。

そもそも、なぜ、
「歴史」の分野が「文系」に
カテゴライズされているのか
というと、

元来、「歴史」というのは、
過去に誰かが書いた「文献」を
頼りに研究されてきたからです。

「文献」とは、
つまり、誰かが書いた
「文章」ですね。

「文章」を主体にして
学問が成立しているので、
「国語」と同じ
「文系」というわけです。

しかし、時代が進み、
科学の技術が発展すると、
「文献」以外の視点から
歴史を分析できるようになりました。

例えば、ジャレド・ダイヤモンドの
著書では、歴史を探るうえで
「炭素年代測定法」
という技術がよく出てきます。

私もうろ覚えの知識なので、
多少間違っているかもしれませんが、

これは物質に含まれている
放射性炭素を分析して、
その物質がどのくらいの
年代のものかを特定する技術です。

この技術を使って、
客観的に歴史が語られているからこそ、
ジャレド・ダイヤモンドの著書は
おもしろいんですね。

それまでの歴史の語られ方は、
誰かが書いた文献を
元にするしかありませんでした。

誰かが書いたということは、
客観性に欠ける面が
否めないんですね。

書いた人の立場によって、
都合のいいように
話を編集してしまうことができます。

これが私が「歴史」に対して、
懐疑的に思う
理由でもありました。

また、人類の歴史といっても、
最初から文字があった
わけでもないので、

実際には文献が残っていない
歴史の方が多いでしょう。

そういう歴史に関しても、
炭素年代測定法などの
技術を使えば、

その土地の地層や発掘品から
当時の状況を知ることが
可能なんです。

いずれにしても、
ジャレド・ダイヤモンドは、
学者でありながら、

一般の人にもわかるような
言葉で説明ができる著者なので、
個人的には信頼しています。
(本のおもしろさという意味で)

この記事が参加している募集

世界史がすき

サポートしていただけるなら、いただいた資金は記事を書くために使わせていただきます。