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財布を拾って、社会について考える

先日、近所で財布を拾いました。

妻と買い物に行く途中で、
正直、めんどくさいなぁ
と思いつつも、

どうすればいいか、
真剣に悩みました。

拾ったのが、
お店の中とかならば、
お店の人に届ければ、
持ち主に届くかもしれませんが、

その時に落ちていたのは、
路上でした。

交番は近くにありません。

しかたなく、
持ち主の住所が
わかるものはないか、
見てみたのですが、

免許証の住所が
私の住んでいる
北海道ではなかったんです。

スマホで近所の交番を
調べても、
かなり遠かったので、
余計に悩んだのですが、

結局、交番に
届けることにしました。

30分近く歩いて、
交番に財布を届けると、
おまわりさんに、
拾った場所と時間を聞かれ、

各種手続きを経て、
私たちはようやく、
財布から解放されました。

結局、1時間くらい
時間を損しましたが、

すぐに持ち主も見つかり、
その方はわざわざ、
私たちのところにまで来て、
お礼を言ってくれたんですよね。

大学生くらいの男性ですが、
とても感じのいい人で、
良かったなぁと思いました。

彼は北海道に住んでいるのですが、
他の県から移り住んできたそうで、
今の住所は免許証の裏に
書いてありました。

そうでした、住所変更をした時に
免許が更新になるまで、
裏に記載されていることが
あるんですよね。

私も経験があったのですが、
すっかり忘れていました(^^;

彼は私たちに
「お礼をしますよ」
と言ってきたのですが、

それはなんだか悪いので、
丁重にお断りしました。

とにかく、無事に持ち主が
見つかって良かった、

それだけで私たちは
ホッとした気分に
なったんですよね。

財布を拾った時、
人によっては、
いろいろ頭をよぎると
思います。

めんどくさいから、
見なかったことにしようとか、

あるいは、
誰も見ていないし、
お金を抜いて、
自分のものにしてしまおうとか、

私たちは、なんとなく、
「自分が逆の立場だったら」
と考えてしまいました。

財布の中には、
お金だけでなく、
免許証をはじめ、

いろいろと大事なものが
入っているようでしたから、
持ち主は困っているだろう
と感じたんですよね。

自分が逆の立場だったら、
なんとか無事に
見つかってほしい、
そう思いますよね。

ただ、今の情勢を考えると、
そうならない可能性も
高い気がします。

今は、物価が高騰していて、
生活に困っている人も
多いでしょう。

生活に困っている
ということは、
お金も時間もない人が
多いということです。

もし、自分が
生活できないくらいに
お金に困っていたら、

あの財布に入っていた
お金を自分のものに
してしまっていたかも
しれません。

もし、あの時に、
急いでいたら、
財布を無視したかも
しれません。

たまたま、休みの日に、
買い物に
出かけていただけなので、

多少、時間に余裕はありました。

人のお金をとるほど、
生活に困ってはいません。

そう思うと、
自分に余裕があったことに
なんだか感謝してしまいます。

こういう問題の時に、
人の「善悪」みたいなものが
論じられますが、

あまり関係ないと
私は思っています。

人間は余裕がなければ、
生きるために
なんでもしてしまいます。

ましてや、これは
道端に落ちていた他人の財布
ですから、

まず、相手に落ち度が
あるわけです。

そうなると、
魔が差すなんてことも
起きやすくなるのではないか、
という気がするんですね。

たぶん、海外だったら、
間違いなくお金を
盗まれていただろう
と思います。

そういう意味では、
そうではない社会(日本)に
生まれ落ちたことに
なんだか感謝してしまいます。

だって、そんな時に
困っている人の姿が
思い浮かぶって、

人として大事なことじゃないか、
と思うんです。

そういう風になれたのは、
自分が善人だから
というわけでもなく、

そういう社会に
生まれ落ちたおかげなんです。

これからも、
そういう場面に
出くわすことがあったら、

見えない人のことを
想像できる自分でありたい、
と思います。

自分が逆の立場だった時に、
他の人にもそうあってほしいので。

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