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話せば分かる?

話せば分かる事は確かに存在する。言語表現による情報伝達能力には個人差がある。多くを語らない人も居るし、口下手の人もいる。「ヤバい」しか言わない人に、状況説明を期待しても無駄である。ある「境地や境涯」を他人に説明しても伝わりにくいから、「言語道断」とか「以心伝心」あるいは「禅問答」みたいになってしまう。それが言語表現の限界である。他人の心の中は、「肉眼」では見えにくいから、ある種ブラックボックスであるし、家族や親友であっても、自分では無いと言う意味において正に「他人」なのである。人間は、「個」として存在する以上、分かり合えなくても別にいいのである。他人と分かり合える次のステージはテレパシーで、隠し事の多い現代人にテレパシーは現状無理だから、「分かり合えない事は当たり前」なのである。ハートで分かり合う事を諦めたからこそ、人は言葉でコミュニケーションを図るのである。愛の分量不足が、テレパシーを使えなくしたのである。だから、他人を無理に分かろうとしなくていいし、誰も解ってくれないと嘆く必要もない、個として自立した意識は、他人と言うブラックボックスから表出する言葉や仕草で、ブラックボックスの中身を推し量るしかないから、我が子の心の内を解ってやれなかったと後悔する必要も無くて、心の内を他人に明かさない自由も認めてあげて、個としての自立を応援してあげるべきである。意識の自立が自尊心を形成し、人から神への進化を促す。他人に解決してもらうと自身の成長に繋(つな)がらない。


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