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量子ゼノン効果( quantum Zeno effect)とは?

量子を頻繁に観測すると、その系の時間発展は凍結されます。

紀元前5世紀頃、古代ギリシアにエレアのゼノンと言う哲学者がいました。この頃から人々は「存在は一なのか多なのか」と議論していました。何故哲学などと呑気なことをしていられるのかと言うと、働くのは奴隷で、自分たちは遊び呆けていられる。かように人間はなかなか進歩しなくて、停滞と言う名の無限ループは続きます。彼はまた「有限な多数は無限に突入する」と屁理屈を捏まね出した。これは微分方程式のヒントですね。なかなかいい線行ってます。

さらに彼は「飛んでる矢は飛んでない」とも言った。それに因んで一見パラドックスに見える現象を「ゼノン効果」と呼ぶようになった。

何故量子は観測者に影響されてしまうのでしょうか?物理学者は「意識の正体」が解りません。意識とは、ここでは単に「波を粒子に変換する装置」なのです。

人間はつい「時間は存在するのか、しないのか?」と問いがちです。二者択一思考をしがちです。だから「時間は存在してもいいし、しなくても良い」要は、自分が「時間は存在しないと信じれば」存在しないし、存在すると信じるならその集合意識的合意により、この三次元物理時空に時間を存在させていけるのです。

そして頻繁に観測するとは、自分の頻繁な粒子化で「時空が固定化された」に過ぎません。一例を挙げると、テレビで南海トラフを頻繁に特集することで、現実に南海トラフを起こせます。こんな事は野良猫だって知っています。知らないのは人間だけです。

宇宙の真理にたどり着くには、古代ギリシャにそのヒントを求めれば良かった。

投手の投げ込む速球が川上哲治氏には、止まって見えたと言う。飛んでいる矢を高速カメラで撮影すると、止まっているように見えます。「時間よ、止まれ」と念じたら、空条承太郎は時間を止められる。実は「動いていると錯覚し合う」のが、「人間と言う集合意識の約束事」なのです。だから当然別の星では別の時間概念になります。

もっと言うと、この星は「行動の星」ですが、実は「行動すらも集合意識による錯覚」なのです。まあ今のところ三次元の人間にそんな知識は当面必要有りません。高次に移行する人たちは、行動が単に「視点の移動」に過ぎないと分かり始めています。

それでは「量子ゼノン効果」の意味する事は何でしょうか?これこそが「引き寄せ法則の正体」なのです。頻繁にインカンテーション(インカーテイションじゃ無いよ)した事は現実化してしまうのです。

言い換えると、高次元に移行する人たちって「この現実の正体」を知ってしまった人たちです。

現実の何たるかが分からない人は、相変わらず三次元での苦労の日々を継続します。人生は結局各人の「マイペース、マイウェイ」なのです。「道草もまた愉しからずや」です。

つまり人は本当は、「時間を止めたり、進めたり」自在に時間を操れます。皆んなジョセフ・ジョースターになれるのです。「気づき」さえすればね。でも人類はこれまで長い間「気づかない選択」を繰り返して来ました。「自分は進化するに値しない存在なんだ」と社会に信じ込まされて生きて来ました。ここでは宗教が停滞要因となりました。宗教、科学、社会思想はそれぞれの欠点を互いにアラ探し合い、対立を克服出来ません。

量子力学に気づくまで人類は、「科学イコール唯物論」と頑なに信じ込まされて、別の可能性を自ら封印して来た。唯物論は前世紀の遺物です。

科学が精神の領域に踏み込み始めたのは、つい最近の事です。でも本当は昔から数秘術師とか陰陽師や錬金術師は、知っていたんです。「巨石を浮かせるのは簡単」、皆んながそう信じれば、そう本当にそう成ります。

「現実は、新たな信念を導入しない限り、古い信念体系を無限ループさせる。」(一空さん名言集より)

これが「量子ゼノン効果の正体」です。現実は慣性の法則に従います。

あなたは言う、「私は現実が変えられません」と。ふむふむあなたにとって「現実とは何でしょうか?」あなたは現実の定義を少し間違っているのです。現実とはとても柔らかい粘土です。波の粒子化なのです。

だから量子ゼノン効果を上手く活用して、皆んなが望む現実を創造するようになれば、世の中はハッピーオンリーになって争いも無く成ります。





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