カープダイアリー第8496話「巨人二岡の契約金は5億円だった、失意の宮本洋二郎スカウトは大切なメモを火の中へ…三次プロ野球伝続編Ⅲ」(2024年1月17日)

二岡巨人か?

ドラフトを前に風向きが変わり、担当の宮本洋二郎スカウトの心中は「穏やかでない」どころの騒ぎではなくなった。

当時、広島の放送各局においては、今のようにドラフト指名前から候補選手に密着取材するような手法は一般的ではなかった。そんな中、中国放送だけが果敢に二岡智宏にアタックした。寒風の吹く近大野球部寮(奈良県生駒市)を訪ねて近大黄金期を築いた本川貢監督(東広島市出身で今も同市に在住、広陵軟式野球部から近大へ進んだ)にマイクを向けた。三次市の実家も直撃した。

この頃、広陵OBのいる当時の巨人スカウト陣が気になる動きを見せていた。そして夏場以降、巨人側の二岡包囲網は急速に狭まっていった。もちろん広陵にも近大にも頻繁にその姿があった。しかも複数で、だ。

ドラフト直前になって“カープお断わり”の連絡を関係者から受けた宮本洋二郎スカウトは、諦めきれない思いでドラフト当日を迎えたという。
 
1998年のドラフトは11月20日、都内港区の新高輪プリンスホテルであった。大学・社会人は自由獲得枠の逆指名が可能で1球団ふたりまで。重複の場合は抽選(自由枠でない選手も1巡目で重複すれば抽選)が行われ、2巡目以降は変則ウェーバーという方式だった。
 
その結果…
 
ロッテは小林雅英と里崎智也のふたりを自由枠で指名した。
 
阪神は藤川球児を、自由枠を使わずに1巡目指名した。
 
近鉄は近大・宇高伸次を自由枠指名したあと2巡目では藤井ヘッドを指名した。
 
中日は自由枠を使って福留孝介と岩瀬仁紀を指名した。
 
日本ハム、西武、横浜は「怪物」松坂大輔を1巡目指名して抽選の結果、西武が交渉権を得た。
 
そして巨人は1巡目で上原浩治、2巡目で二岡智宏。ともに自由枠で指名だった。カープは自由枠を使うことなく1巡目で東出輝裕を指名した。
 
この年、のちに「二岡じゃなくて2億」と揶揄されるようになる事件とともに、闇の深い別の事件が起こった。

オリックスとダイエーがともに新垣渚(沖縄水産高)を1巡目指名してオリックスが交渉権を得たが、新垣渚は頑なに入団を拒否した。ドラフト統括・責任者だったオリックス三輪田勝利編成部長は板挟みになり、11月27日、那覇市内のマンションから投身自殺した。53歳だった。温厚な人柄ゆえの悲劇でもあった。九州共立大に進んだ新垣渚は4年後、自由枠でダイエー入団した。
 
あまりにも衝撃的なこの事件は、カープ関係者の間では「他人事ではない」空気を生んだ。
 
気丈にスカウト活動を続ける宮本洋二郎さんは次なる出会いを求めて地道な活動を続けた。そしてPL学園の前田健太と出会う。2006年高校生ドラフト1巡目単独指名に成功!カープのマエケン誕生となった。
 
それから5年半後の2012年3月、巨人二岡誕生に関する驚くべき事実が明らかにされた。報じたのは朝日新聞。2004年に突如として表面化した球界再編問題でも読売グループの野望に報道で待った!をかけた“朝日の意地”だった。
 
上原浩治、二岡智宏が交わした当時の契約書には「契約金5億円」と記されており、支払いは分割になっていたとすっぱ抜いた。また1年目の年俸は3300万円だったが「統一契約書」には当時の上限の1300万円とすることも盛り込まれていたと報じた。
 
その1年後…
 
宮本洋二郎スカウトは2月の日南キャンプを訪れ、例年通り、天福球場に姿を見せたり、宿の前で酒のつまみにもなるアジの開きを七輪にかけたりしていた。が、その最中に突然、球団から「解雇」を言い渡された。
 
まさに青天の霹靂…スカウトの仕事の経過やノウハウなど大事なことが事細かに綴られていたメモ帖類はそのまま火の中に放り込まれた。
 
「巨人二岡」誕生の過程でどんなことが行われていたのか、を客観的に示す材料はもう存在しない。あるのは宮本洋二郎スカウトと、巨人・二岡智宏ヘッド兼打撃チーフコーチと、当時の関係者の心の中だけ。こればかりは消し去ることはできない。あの時からすでに四半世紀が経過しても…

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