カープダイアリー第8448話「カープ女子人気の原点、堂林選手会長へ、オリックスは”がんばろうKOBE”超え、同時に”広島”力でスタートしたヴィッセルも…」(2023年11月27日)

カープ選手会の納会が広島市内のホテルであった。選手会総会では2年間大役を務めた大瀬良から選手会長のバトンが堂林に渡された。野間が会長補佐になり、文字通り堂林を補佐する。副会長には中崎と栗林、書記には森下、会計には坂倉、という顔ぶれになった。


堂林は「プリンス」と呼ばれた2012年、プロ3年目で全144試合に出場した。118安打14本塁打45打点150三振、打率・242。その姿はカープ女子到来の時代と重なった。


新球場効果×SNS普及


2008年7月、ソフトバンクモバイル(現ソフトバンク)からiPhone3Gが発売され、スマホの国内普及は加速度的に進んで行った。


マスメディアを介さず、個人同士が自在にコミュニケーションを取る時代。「ネットで知り合い球場で出会う」ことで新球場=マツダスタジアム元年は大いに沸いた。

2010年前後には、首都圏各スタジアムを赤色が染め上げる現象が起こり、マスメディアの追随記事やニュース報道、カープ関連番組によって無限のカープ人気拡散ループが生まれた。

2010年2月には東京都内の大学に通う黎明期のカープ女子らによってカープファンを繋ぐフリーペーパー「Capital」が創刊された。福山市出身の石田敦子さんの「球場ラヴァーズ」がブレイクしたのものこの頃だ。

そして今から9年前の2014年、「カープ女子」はユーキャン新語・流行語大賞ベスト10入りを果たす。

2013年の主催ゲーム入場者数は156万5598人(1試合平均2万1744人)で新球場元年2009年の187万3046人(1試合平均2万6015人)から大きく後退していたが、2014年は190万4781人(同2万6455人)と球団史上最多なった。


さらに2014年オフ、絶妙のタイミングで黒田博樹、新井監督同時復帰。マツダスタジアム年間指定席が初の完売となり2015年からは年間200万人突破が当り前になった。


毎試合、赤で埋め尽くされたスタンドからの声援を追い風にして2016年からリーグ連覇。これほどうまくいくサクセスストーリーはそうそうない。


ところでこの日、セ・パ両リーグのベストナインが発表された。


龍馬が新井カープからただひとり、選出された。阪神からは大山、近本、木浪の3人。パ・リーグではオリックスから6人が名を連ねた。


オリックスはリーグ3連覇を果たした今季、球団最多の194万7453人を集めた。前年比で実に50万人以上増の大幅アップだ。


これまでのオリックスの最多記録は1996年の179万6000人(実数発表以前の数字)だった。仰木監督の3年目。イチローとともにリーグ連覇、そして悲願の日本一になった。


関西といえば今季、ヴィッセル神戸も初のJ1リーグ優勝を果たし、同時にホームゲーム入場者数が過去最多の37万8355人(1試合平均2万2256人)を記録した。エディオンスタジアム広島ラストシーズン人気に沸いたサンフレッチェ広島の27万4170人(同1万6128人)は遠く及ばない。


ヴィッセル神戸が産声をあげたのは1995年1月1日。そして練習初日に運命の時を迎える。1月17日阪神・淡路大震災…


この時、新生ヴィッセル(勝利の船出)の船長だったのがスチュアート・バクスター氏。そうサンフレッチェ広島の初代指揮官で、Jリーグ誕生2シーズン目の1994年、前期優勝(当時は前・後期2シーズン制)を果たした名将だ。


だが1994年チャンピオンシップでヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)に敗れたあと、クラブ側との交渉が進まず、当時はまだJFL(ジャパンフットボールリーグ)所属のJリーグ予備軍だったヴィッセル神戸に着目した。


水面下で関係者を介して兵庫県サッカー協会関係者などに監督就任を打診。結果的には神戸側がその意思を汲み取った。


オリックスは1995年、震災の焼け跡で「がんばろうKOBE」を合言葉にリーグ優勝したが、同時にヴィッセルもまた神戸を母港として、広島力を受け止めながら新たな挑戦をスタートさせたのである。

ヴィッセルJ1王者決定の日と、かつてスチュアート・バクスター氏が「ディシプリン」(規律)を叫びながら指揮したエディオンスタジアム広島がファイナルゲームを迎えた日が重なったのは単に偶然なのか、それとも…

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