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アラン・トゥーサン・インタビュー

アメリカの議会図書館(Library of Congress)に収蔵されているアラン・トゥーサンのラリー・アッペルバウムによるインタビュー動画を和訳してみました。
勝手にいくつかの部分に分け、視認性のための見出しを付けました。


要約

議会図書館でのアラン・トゥーサンとヘンリー・バトラーのコンサートに先立ち、アラン・トゥーサンはラリー・アッペルバウムによるインタビューに応じ、自身のヒット作、レコーディングスタジオでの生活、ニューオリンズのピアノの伝統、プロフェッサー・ロングヘアー、作曲と制作の課題、ハリケーン・カトリナの影響について語った。

2007年11月7日収録

インタビュー

音楽を始めた頃

L) こんにちは
ピアニスト、作曲家、アレンジャー、プロデューサーであるアラン・トゥーサンに来てもらっています。アラン、議会図書館へようこそ
A) ありがとう。
なんて素敵なところでしょう。
L) 知っての通り、あなたについて書かれた本がないので、まず基本的なことから確認していきます。
まず、あなたの生まれた時と場所は?
A) ルイジアナ州ニューオーリンズで1938年に生まれました。
正確にはニューオーリンズの近くのキャロルタウンという町の出身ですが、そこの出身者じゃなければ、ニューオーリンズと同じことです。
L) 家の周りでは音楽が聞こえていましたか?
A) 近所には音楽がたくさんありました。
父は私が生まれる前までは、週末にトランペットを吹いていましたが、私が生まれる頃には家族を養うのに忙しく、現役のミュージシャンではなくなっていました。
彼は鉄道会社で40年間働きました。音楽好きは遺伝子に組み込まれていたのでしょう。私の兄は幼いころギターを始めましたが、やがて止めてしまいました。姉がピアノを習っていたのはほんの短い間だけでしたが、それは悪い先生についたからだと思います。
でも、私は最初に楽器に触れてから、すぐに恋に落ちました。
L) あなたの家にあったピアノと、ですか?
A) 叔母の一人が姉のために買ってくれたピアノです。
私の一族の女性たちは、若い娘はピアノかヴァイオリンかそのようなものを弾くべきだと思っていたので、私より8つ年上の姉のためにピアノを贈ったのです。
でも、結局すぐに置物になってしまいましたが、私が歩いて行ってピアノに触れることができたのです。私はピアノが好きになり、すぐに夢中になりました。
L) あなたが若いころに好きだった音楽はどのようなものでした?
A) ラジオから流れてくる音楽をたくさん聞きました。カントリー&ウェスタンと呼ばれる前のヒルビリーやブギウギ、ゴスペルなどです。
L) お気に入りのアーティストは?
A) ブラッドフォードはあの時代には偉大でした。それに私がピアノを弾くようになったすぐ後に売り出されたソウルシスターズの真似もしていました。
私はブギウギがとても好きでした。母は日曜日になるとクラシックをよく聞いていました。母はクラシック音楽が大好きで、私自身も好きだと気付きました。クラシック音楽の素晴らしさは、私の記憶にしっかり刻まれています。
私がピアノを始めた時、私はピアノ弾きならどんな曲でも弾けるものだと思っていました。ブルースピアニストやクラシックピアニストなどピアノにも、いろいろな専門があることを知らなかったのです。なので、私は聞いたものすべてを弾こうとしました。
L) 真似しようとしたピアニストがいるんですね。
A) はい、耳にしたピアニスト全員です。
特に好きだった人がいます。プロフェッサー・ロングヘア―を最初に聞いたとき靴下を脱いでしまった、というのは私の子供時代のジョークの一つです。

プロフェッサー・ロングヘア―

L) ロイ・バードはかなり凄いプレイヤーです。
A) その通りです。
L) 彼のどこが凄いところだと思いますか
A) あり得ないような、1、2、3、4、シンコペーションです。
多くのニューオーリンズの音楽はいたるところにシンコペーションが埋め込まれています。
プロフェッサー・ロングヘアは様々なドラマーに合わせて踊っているようで、それはラテンやカリブの島々のリズムとブルースがすべて融合したもので、後でニューオーリンズ全体に広まっているものだと知りました。
L) それでピアノ弾きたちは手本としてプロフェッサー・ロングヘアを学ぶのですか?
A) すべてではないですが、みんな彼のことは大好きです。
L) あなたも彼の曲を手本にしましたか?
A) 聞いたものすべてを手本にし、弾こうとしました。
彼のように弾きたいのではなく、彼になりたいと思っていました。でも、彼がいる限り彼の代わりになることはできません。
そう、私はすべてを彼から学び、次にどのようなレコードが出るのかを待ち続けていました。
L) これを見れば、あなたがどれほどプロフェッサー・ロングヘアや彼の曲からいろいろなものを吸収し好きだったかわかりますね。
A) もう一度言います。私が考えていることのすべては彼が持っているものです。私は彼のことを「私たちのロックのバッハ」、いや私たちのではなく「私のロックのバッハ」と呼びます。
それまでに先人たちが築いてきた弾き方をやめ、それとは全く違う革新的な弾き方で演奏したりします。細かく修正するのではなく、別のやり方をぱっと思いついて弾いています。
L) ちょっと弾いてみてくれますか
A) 初期のルンバのリズムはこんな感じ
(ピアノ)
A) 彼はこのようになります。
(ピアノ)
A) (1小節余分につくので)余分の時間を入れています。
(ピアノ)
A) ふつうは5小節目に上がりますが、このようにまだ上がりません。
(ピアノ)
彼はただそれを聞きたかったので余分な時間(1小節)を入れています。
おそらく初期のブルースマン、ハーモニカにギターは木の下でこんな感じに弾いていた。これが魅力的に聞こえるのです。
L) 私は彼の歌も好きです。ちょっとだけヨーデルがかっている。
A) プロフェッサー・ロングヘアは、不思議なヨーデルを歌っている。一語の中でオクターブ飛ぶのです。
(歌)
このような感じ
このように曲が進行することを考えた人はいないので驚かされます。とんでもないことだと思います。
L) フェスとはどの程度の知り合いですか?
A) 嬉しいことに後に会うことができました。16の時、ある日レコードショップで、小ぶりなスピネットピアノを弾いているのを見ました。ありがたいことに、それはフェスでした。私が想像していたフェスはもっと大男でしたが、小さなとてもつつましいピアノを弾いており、何年間も会うことができなかったフェスその人でした。
私はランパート通りのワン・ショップ・レコード店によく行きレコードを買っていました。店では出たばかりの新譜を流し、客に買わせようとしていました。私はプロフェッサー・ロングヘアやレイ・チャールズを探していましたが、それらの盤は店頭には置かれておらず、在庫として裏の箱の中に入れられていました。
当時、プロフェッサー・ロングヘアは倉庫で働いていました。私は彼に会うことができとても嬉しかったですが、倉庫で働いていたことは、後年その話を聞くまで知りませんでした。彼の境遇にかかわらず、彼に会うことができとても嬉しかったのです。
L) 多くの人がプロフェッサー・ロングヘアとあなたとジェームス・ブッカーや他の人たちをニューオーリンズ・サウンドと関連付けています。音を聞けばニューオーリンズ出身の人かどうかわかりますか。
A) もし、とても上手い模倣であれば、それはニューオーリンズのものだと思うでしょう。
ニューオーリンズには、ニューオーリンズ的なことを他の人より上手くできる人はいますから。
L) どこを聞けばニューオーリンズのものだと判るのですか?
A) 私にもわかりません
L) 言葉の訛りみたいなもの?
A) ちゃんとした答えはないと思います。
ごめんなさい。とてもいい質問ですが。


キャリアの初め

L) あなたは独学で音楽を学んだようですが、どのように作曲や編曲を学んだのですか。
A) レコードを真似ることからです。レコードやラジオからの新曲を聞き、ピアノのパートやベース、トロンボーンなどすべてを聞きとりました。そして、姉にレッスンしてもらったんです。Eの音はピアノのここよ、などなど。
そのあと、楽譜に書くことを習いました。作曲もアレンジもレコードをコピーして、譜面に落とすこと学びました。
L)あなたは偉大なプロデューサーですが、レコードを作ることはどのように習ったのですか。
A) 私はいろいろなスタイルのピアノを弾けたので、スタジオ録音のサイドマンとして仕事を始めました。
私がなろうとしたように、全てのピアニストが全てのスタイルを弾けるものだと思っていました。私は多くの異なるスタイルを弾けましたが、スタジオに呼び出されるようになり、私のように様々なスタイルで弾くことができるのは特別なことだと知りました。私が当時の流行りのいろいろな音楽を弾けることを皆がわかったのです。
L) それでデイヴ・バーソロミューがファッツ・ドミノの代役としてピアノを弾くよう依頼したのですね。
A) その通りです。それは私がスタジオのセッションプレイヤーとなってからすぐのことでしたが、ファッツの代わりに弾くようデイヴ・バーソロミューが電話をしてきたことは、私にとって大きなチャンスとなりました。
実際のところ、その仕事をしたことで、最大の賛辞をもらえたことが一番うれしいことでした。ファッツ自身に「アラン。あれは俺のピアノかお前のか俺自身もはっきりわからないんだよ」と言われたことが、何よりのご褒美でした。


ロイヤリティ

L) 報酬の話ですが、あなたはたくさんのレコーディングにピアニスト、作曲家、プロデューサーとして参加していますが、何が一番の問題でしたか。
P) ロイヤリティを得ることです。
幸運なことに、私は駆け出しのころからレコード会社に所属していました。
L) ミニットレコードのことですね。
A) はい。私がミニットにいたころは、親のようなその会社を通して、様々な問題に対処できました。頭の痛い問題から、私を救ってくれました。
いくつかの曲は、それから漏れてしまったこともありましたが。その期間は大学へ行っていました。
時として、レコード業界においてはロイヤリティについて真剣に考えられておらず、作曲者の取り分を他の誰かに渡すことも行われていました。未だにそのようなことはあるかも知れません。顔を顰めざるを得ないやり方ですが、よくある慣行です。あの時代よりマシになりましたが、なくなった訳ではありません。
L) あなたはいつも自分の出版社を持っていましたか?
A) 常にではありません。ミニットにいるころにはチューン・カルという会社があり、他でもそのような会社です。ミニットにいる頃のチューン・カル、あ、違った。私が会社を持っていた訳ではなかったです。しかし、レコード会社と同じ屋根の下にあったようなものなので、私は快適に仕事ができました。
L) 一つ不思議なのは、あなたの名曲のいくつかはお母さん、ナオミ・ネヴィルの名義で著作権登録されていますね。
A) そう、母の旧姓でね。
L) なぜです? なぜそのような選択を?
A) 会社を移ろうとしていた時期だからです。別の会社に移ろうとしていたけど、契約期間に縛られていたので、移籍先の会社のために書いた曲は、私のことだとわからないよう変名を使うことにしたのです。
ナオミ・ネヴィルって響きも素敵でしょ。父親の名前、クラレンス・トゥーサンを使うかとも思いましたが、私のことだとバレバレですから。しかし、母親の旧姓なら完璧に隠すことができました。
L) あなたの初期の作品はアル・トゥーサン名義ですよね。これはあなたの考えですか? それともプロデューサーが決めたのですか?
A) 私が考えたのではありません。私をプレイヤーとしてフィーチャーするワイルド・サウンズ・オブ・ニューオーリンズを最初に録音する時、タレント・スカウトのダニー・ケスラーが、t-o-u-s-s-a-i-n-t という綴りが高級そうで、クラシックな感じに見えると思ったのです。それでアル・トゥーサンのほうがいいのではないかと、発音も簡単だし私に合ってると決めました。

音楽制作

L) 50年代終わりから60年代前半にかけてあなたの才能が開花したと思っています。当時ミュージシャンユニオンは人種隔離していましたよね。
A) その通りです。
L) 店のバンドスタンドやアフターアワーズでは人種隔離はどうしていたんです?
A) ああ、レコード業界ではぜんぜん問題なく、一緒にやっていました。なぜなら、ミュージシャンはとても忙しかったからです。
クラブではカーテンで人種をわける店もありましたが、そうじゃないクラブもありました。
L) あなたは白人のクラブには行けないが、白人は行ける……
A) そうです、そうです。
L) 混合クラブ?
A) 最高のサウンドで楽しい時間をすごしているのに、肌の色をいちいち気にしていられないでしょ。食べたいものを食べ、やりたい音楽をやっているという状況がみんな大好きだったのだから。
L) ユニオンが統合されたのはいつでしたか?
A) 496番地だったかな。白人のユニオンは174番地。174番地か496番地のどちらかに60年代でした。
L) あなたの初期の録音が成功したのは、曲によるものか、リーダーがよかったのか、あるいは歌手なのか、バックのミュージシャンがよかったのか、どれだと思います?
A) 厳しい質問ですね。
アーティストは、アーティストとして続けていくためには、たくさんのことをやらねばならないと思っています。
例えば、一度ヒットを飛ばしたことのある人は、墓に入っても売れた歌手だと認識されるので、ステージの真ん中に立てるほど強くなければならないし、良い人であり続けることはとても大変です。
一方、曲の場合は、私がやってみたいと思うように、時にはアレンジを変えることもあります。最初のよりよくなったと思う人もいるし、原曲の方がよかったという人もいます。
L) 例えばどんな曲ですか?
A) 誰が歌ってもよい曲もありますが、フェスの曲はやはりフェスが歌わなければダメですし。
L) なるほど。Mother-in-Law はそのようなフックを持つ名曲ですよね
A) ありがとう
L) 良い歌手はたくさんいますが、あれほど曲のフックが決まっている曲はなありません。
A) ベニー・スペルマンがあのフックを歌っています。曲を書いたのは私ですが、あのフックのおかげでヒットしたと思っています。
本当のことを言うと、ベニーはあのフックを歌えば世界中にヒットするチャンスだと思い歌ったと言っています。そしてそれが大当たりしたのです。
L) Mother-in-Law や Ya Ya や他の多くの名曲もですが、スタジオでミュージシャンにはどのぐらい指示をするのですか? あなたはコンセプトを設定すると思いますが、最終結果はどのぐらい違うものですか?
A) 私はあらかじめしっかり方針を決めていました。どのようなものであれ、スタジオ入りする数日から数週間前にはイメージを固め、その通りにしてきました。良いことか悪いことかわかりませんが、私の考えたように作りました。
後になって、いろいろな試行錯誤が時には素晴らしいものを生み出すことを学びましたが、駆け出しのころは知りませんでした。初期のころは何か特別のことを考え、それを実現させることが目的でした。
L) あなたは勢いに任せて進む人ですか、それとも規律を重んじる人ですか?
A) 両方です。音楽ではなく、人そのものを知ろうとしていました。
L) あなたの作品で一番気に入っているバージョンはなにですか? ヒットした作品?
A) いつも同じではないけど…… コービー・グレイの「Performance」はとても好きです。
私自身が録音したものも知りたいでしょ?
L) はい
A) 「Get Out of My Life, Woman」はどれも好きですが、ジョー・ウィリアムスが歌ったものを聞いた時には、飛んでもなくすごい声だと思いました。

L) ソングライターとして曲を聞く時には、何を聞いていますか? 良い歌を作る秘訣は?
A) 書いた曲のこと? それとも曲を作るとき?
L) 両方です。
A) その曲を楽しめるかどうかを考えます。私がミュージシャンじゃなかったら、そんなに簡単ではなかったでしょうが、ミュージシャンなのでその曲を楽しめるようすぐに練習してみることができます。新しいレコードを録音するように、わざわざ研究しなくても楽しむことができます。
建設作業員がいなくても建築物がわかるように、ミュージシャンであるからこそ曲の美しさがわかるし、その改良方法もわかるからです。
L) そうやっているのですね。どのようにボツにするんですか?
A) 簡単じゃないです。でも、多くの音楽をボツにしました。
とても忙しい時には特に簡単ではないです。そうしてたくとも、ミュージシャンには簡単じゃないのです。
L) 曲を作るときには、細かく修正するのですか? それとも頭の中に最初からパーッと思い浮かぶのですか?
A) いやいや違います。断片が思い浮かぶことがあります。あるいはプロットの時もある。例えば二人の人が2ブロック離れて住んでいて、一方がもう一方の家へ歩いて向かいながら会話をしている、という状況で、どんな会話をしているかを思い浮かべます。そのきっかけは2語だったり。
L) 構成ですか?
A) プロットです。
L) そして物語、アートです。どのように言おうと。
どのようにあなたのこれまでの仕事を考えますか?
これまでの仕事や作品を振り返ったり、手を入れたりしますか?
A) もし、録音しないのであれば、永遠に手を入れ続けるでしょう。でも、ある時点で決めなければなりません。ある部分はスルー出来ても、別のところは見逃せないこともあります。いくつかの部分にはたくさんの時間をさき、閃きによって解決することもあるし、引き出しにはちょうどハマるパーツがないこともあります。ほんとにぴったりのものがなければ、作り出すしかないですし。
L) あなたは寡黙な人で、息子さんも素晴らしい人です。あなたは寡黙でありながら現役のパフォーマーであり卓越したピアノ・プレイヤーで最高の歌手でもあります。パフォーマーやスターでありながら、曲作り、編曲、レコード制作という裏方仕事に徹しているのはなぜですか? ほとんどの人はエゴがあるので、もっと表舞台に立ちたいと思うのですが…
A) そんな気持ちはありません。裏方仕事はやりがいがあるし、それに喜びがあるし、とても居心地がよいと思っています。
あることを成す始まりの地点にいるからです。神が天地を創造するのと同じです。このアーティストをどのように世の中に出そうか、どんな歌でどんなミュージシャンたちによってこのアーティストを作っていくか、どのような盛り上げ方をすればよいかなど、このようなことに喜びを感じるからです。
L) 経済的に1つの歌の成功を測ることはできますか?
A) 経済面は意味がないです。その曲の成功は、いろいろな人が演奏することの方が、売り上げよりも成功の指標です。ソングライターとして、世間とは違った指標です。
私がとても成功したと思う書いた曲の一つは、ルー・ジョンソンのために書いた「Transition」という歌ですが、だれか聞いたひとがいるかは私は知りません。
L) 私たちのために演奏してくれませんか。
A) それほど関わったわけではありませんが、ライターとしてとても上手く仕事をしたといえます。セールス的には最悪だったと思いますが。
L) エリントンはアーティストの利点について語っています。
A) ええ
L) 金銭という意味ではなく
A) はい
L) 彼が何を最高と思っているか聞いた時、トマトに格付けがないように、アーティストにも格付けはないと言いました。
A) ありがとう、ありがとう

カトリーナの被害

L) ここでちょっと話を変えて、カトリーナのあなたの個人的な影響について教えてください。
A) 私はカトリーナは、これまでニューオーリンズにやってきた大したことない普通の嵐と同じだと思っていました。子供のころ、ハリケーンには女性の名前が付けられていました。最近では交互に男性の名前も付けられています。これまでのハリケーンでは、窓に板を打ち付けました。板には番号が振られ、車庫に収納し、翌年も同じように使っていました。カトリーナな時もいつものように窓に釘で板を打ち付けました。
カトリーナが来る前に何人もの人から街から避難することを勧められ、もし街から出ないのならホテルへ泊まるよう言われたので、私はそうしました。カナル・ストリートとバーボン・ストリートの角にあるローヤルホテルの4階に、ハリケーンが上陸するまで避難していました。翌朝表に出てみると、いつも通りに見えましたが、その時には堤防が決壊しており、それから様々なことが起こりました。いつも通りの仕事はできなくなり、4日後にニューヨークへ行くことにしました。
L) あなたの家とスタジオの被害は?
A) スタジオは見る影もなく、まるで戦場のようでした。幸いなことに、何年か前に、私とパートナーとはスタジオのビジネスから手を引いていました。
L) マーシャル・シホーンとのことですか。
A) その通りです。しかし、それは一時的なことで、何かあればそこに戻ることができるようにしてあったのです。しかし、カトリーナの後はそれもできなくなりました。
自宅も全壊したので、あれを買い、これを買いでした。ニューオーリンズにいる時間をできるだけ少なくするようにしていましたが、最近になってニューオーリンズで多くの時間を過ごせるようになってきたので、復興したフレンチクオーターに住む場所を確保したいと思っています。
L) スタジオにあったマスターテープはどうなったのですか。
A) すっかりなくなりました。
L) それは悲劇です。ハリケーンの悲劇です。
A) 自分の録音したマスターテープのいくつかは、息子が駆けつけて持ち出すことができました。しかし、そこには膨大な数がありました。ラムゼイ・ルイスやエドワード・ゲイルなどすべてが。
L) 人々は変わらざるを得ませんね。
ハリケーンのせいでニューヨークに行きましたが、その結果よいことと悪いことがあったでしょう。
A) そこを活動の拠点としていますが、人生において旅をしているようです。人生においてとても面白いことだと思います。
L) カトリーナでどう変わりました?
A) 変わってないと思います。
L) あなたは多くのことをやり、キャリアを積んできましたが、音楽にかかわる人に比べ、一般の人の認知度は低いかも知れません。このことはあなたにとって重要なことですか?
A) 私自身にとってはどうでもよいことです。レコード業界にとって意味のあることであればよいのです。
私が責任をもって制作した人のレコードが売れればそれで充分満足です。
L) それで…
A) そう、任務完了です。
L) あなたの任務とは?
A) あるアーティストの内なる力を発揮させ、多くの人の心に響くようなものを録音することです。私の任務は誰かのプロデュースをすることです。
L) あなた自身の人生における任務とは?
A) ピアノを弾くことが本当に好きです。私は音楽が好きで、たとえ他の人が歌って録音する場合でも、その歌を作るのが好きです。誰かが歌わないにしても、早起きして曲を作りピアノを弾くのが好きです。
L) 曲を書くことをテーマにした歌を書いたことはありますか?
A) ええ、ウェイン・コックランのために「Hey a song make me a song」短すぎず、長すぎず、ナンバー1になるような良い曲を作ろう、という歌です。
かなり傲慢で生意気な内容だけど、詩的なセンスを加え、傲慢さを薄めています。
L) ソングライター、プロデューサー、アレンジャー、作曲家として、どのように自身の成功を測りますか?
A) そんなことはしません。何かを頼まれたから、よし、5位を狙っていこう、などということはありません。私の経歴は山あり谷ありで、ヒット曲はあったにせよ、ヒットしなかった曲もたくさんあります。いろいろなことを試しながら進んでいくしかありません。
L) よくわかります。とにかく進んでいくことですね。
ニューオーリンズの復興のことを話すのは気が早いと思いますが、きっとうまくいくと思っていますよね。
A) はい、その通りです。進んでいます。
T) 残された時間は2分だけですが、なにか弾いてくれますか
A) お安い御用です。
What it means to miss New Orleans? を知っていますか?
(演奏)
L) アラン・トゥーサン、どうもありがとう。
いつの日かこの続きを話したいと思います。
A) どういたしまして。

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