IKTTクメール伝統織物

IKTTは内戦で途絶えかけてしまったカンボジア伝統絹織物の復興、再生に取り組むカンボジ…

IKTTクメール伝統織物

IKTTは内戦で途絶えかけてしまったカンボジア伝統絹織物の復興、再生に取り組むカンボジアの現地NGO。1996年日本人男性の森本喜久男(1948-2017)によって設立された。ここでは布制作にあたってのストーリーを記録していく。

最近の記事

職人とブランドディレクターの溝

みなさん、ストライキを受けたことがありますか?笑 当時は笑い事ではなかったが、今思えば職人達から受けたストライキ的な態度がIKTTにとって良い未来をもたらせた事は間違いない。 森本さんが亡くなってから、順調に事が進んだ訳ではない。 当時、ずっと気になっていた事があった。仕事の音がどんどん聞こえなくなっていた。私の部屋は工房からとても近く、部屋の中でも仕事の音が聞こえる環境だ。しかし当時、糸グルマの音、染料を石臼で砕く音、織り機の音、いつも聞こえてきた仕事の音が聞こえなくな

    • 伝統とモダンの融合の危うさ

      思わぬ事から新しい布が生まれる事がある。 新しいタテ糸をセットした織り手に呼ばれ織り機に向かうと、タテ糸に問題発生。少しだけ織ってもらうと、くっきりとストライプ状に模様が浮き出てきた。何色で織っても結果は変わらず、ストライプ状に模様が浮き出てしまう。 こりゃ、普通の布は織れないな。。。 これはちょっとした勘違いから発生した問題であり、普通は発生しないこと。起こってしまった事は仕方ないが、さて、30m分のタテ糸をどうするか。。。 逆にこのストライプ模様を生かせば良いと思い

      • 復元不可能??

        「この模様難しいから他の模様にしてほしい」 ある日の夕方、私の部屋に来たソキアン。少し言いづらそうな表情で「違う模様にしてほしい」と相談をしにきた。IKTTの中ではもちろん、今となってはカンボジアの中でも一流の括り手と言っても過言ではないだろう。今までもっと難しく複雑な模様を復元してきた彼女にとっては簡単なレベルの模様だった。 「なぜ?」 復元したい布はいつもだいたいテキスタイルブックの中。その画像を拡大コピーし職人に渡す。しかしテキスタイルブックの画像が粗ければ、職人

        • 毎年3月満月に近い土日に開催していた蚕祭り

          つまり、この法則でいくと今日が前夜祭。が、しかし、コロナ以降は蚕祭りは開催せず、映像や画像で皆様に楽しんでいただこうと毎年試行錯誤してきた。さて、今年はどうしようと色々考え、括り手と織り手を引き連れてアンコールワットへお礼参りでもするかと思い立ち、比較的軽い気持ちで当日を迎えた。撮影の為ではなく、あくまでも日頃の感謝を伝えるためのもの。 私がアンコールワットに到着した時には、すでに職人達は到着していて橋の向こうで待っていた。彼女達はどこにいるのかと探しながらひたすら歩くと、

        職人とブランドディレクターの溝

          「糸」

          ん?中島みゆきか?と思ったそこのアタナ。鋭い。 ここ最近、森本さんの古くからのご友人やお知り合いに会うことが増えてきた。そして当時の話や森本さんとのエピソードを聞かせていだだく。その方だから知っている事なども多く、皆さん懐かしそうに当時のお話しをされる。自ずと、私も森本さんとの思い出をよく思い出すようになっていった。 7月3日、森本さんのご家族から亡くなったと知らせを受けた時には、なんとなくわかっていた。その日の早朝のことだった。ふと目が覚めると全身がゆっくり温かくなって

          ソキアンの生命の樹

          2017年6月、私たちは日本にいた。福岡で開催される「女性伝統工芸士展」というイベントに呼ばれたからだ。IKTTの職人はソキアンとワンニーの2名が参加し、実演。森本さんは講演を行った。講演会には本当に沢山の人が集まり、カンボジアから職人が来て実演するということで展示販売をするIKTTブースも大いに賑わった。 正直、当時私はまだそこまで布に関して詳しかったわけでは無い。しかし、そんな私でも印象深いと感じる作品があった。が、しかしそれはテキスタイルブックの中だった。 イベント

          ソキアンの生命の樹

          職人のプライド

          SEANG LEAN(シン レイン)、若い頃から括りを始め2007年伝統の森に家族と共に来た。彼女の得意な模様がある。それが私たちが「カンマン」と呼んでいるナーガや卍、プカーチャンなど吉祥文様で構成された人気の模様だ。昔から彼女はこの模様を得意としていた。彼女が制作するカンマン模様の布はお客様にとても人気があり、大判の布だけではなく、スカーフタイプや色違いも作り始めた。 まだ森本さんが生きていた頃の話し、彼女の括りが少しずつ揃わなくなってきた。布の最終仕上げ等を担当るショッ

          仕事の選び方 IKTT Midori編

          仕事や条件を選んで入社する。これが普通だろうし、実際自分も今までそうしてきた。しかし今回は違う。仕事を選んだというよりも、これからの人生の中でついていきたい「人」を選んだその先に、今の仕事があった。 ブライダルの仕事を辞めた後、友人との何気ない会話の中で、近場でどこか海外旅行に行こうという話しになった。ベトナム?カンボジア?タイ?友人が選んだのはカンボジアだった。なら、気になる日本人がいるからそこも行こうと友人を誘い、2014年、初めて伝統の森に来た。 第一印象は、すごい

          仕事の選び方 IKTT Midori編

          ソキアンのナーガ

          「色っぽいナーガ。これは、わたしの大切な宝のような布。カンボジアの絣の柄には、生命力とそのエネルギーの象徴としてのナーガを描くことが多い。IKTTの代表的な絣の柄の中にもナーガーは使われる。この色っぽいナーガとわたしが呼ぶ布も、IKTTの代表格。この布の織手はIKTTの第三世代、三人の子供がいるお母さん。10年ほど前に彼女が結婚を決意したとき、布が色っぽいナーガになった。そして、今では彼女の得意の柄になり、風格のあるナーガに変わった。」2012年 森本喜久男FBより 森本さ

          ソキアンのナーガ

          KIM SRENG 船のピダン(後編)

          どうしても、見たい!と、いう私の好奇心で、スレンさんに恐る恐る織りもできないか相談したところ、あっさりOK。いつもの上品な笑顔でOKしてくれた。そうなると、ヨコ糸だけでなく、タテ糸を含めた全ての準備はスレンさんが先頭になって行う。タテ糸整経、染め、筬通し等々。これらは森で作業するため、森の職人達もここぞとばかりにスレンさんのヘルプに入った。 そしていつも穏やかな伝統の森の職人達がちょっと緊張しているようにも見えた。とても良い緊張感だ。やはりIKTTにとってスレンさんの存在は

          KIM SRENG 船のピダン(後編)

          KIM SRENG 船のピダン 中編 / まさかのやり直し

          私「これ、お客様からのオーダーで、8m必要なんだ(^_-)」 二人・・・ スレンさん「ん?何メートル?」 私「え、8m (^-^)」 スレンさんが笑い出し、もぅ、まったくみどりは的な感じで、でも心が決まったような、嬉しそうな感じでそのまま打ち合わせに入った。オーダーの作品を制作する、それは責任が伴う。でもそれ以上に何か特別な遣り甲斐もあるんだろう。 そして、スレンさんの本気の職人魂のようなものを、この制作を通して見せつけてくるとは、この時点では思ってなかった。そして

          KIM SRENG 船のピダン 中編 / まさかのやり直し

          KIM SRENG 船のピダン2021-2023(前編)

          森本さんが亡くなった後から言われていた「60歳になったらタケオに帰るから」という意思表明。この言葉を言わせていたのは自分が原因だった。KIM SRENG(キム スレン)はIKTTの職人の中でも別格の腕を持つ職人だ。今回はこのピダンを制作するにあたっての物語を私の記憶と共にここに残そうと思う。 私が商品の布全体のデザインやディレクションを初めてから目を付けてきたのが括り手のソキアン(SOY SOKIANG)と、ホウイ(SEAK HOUY)。 森本さんが亡くなった頃、伝統の森

          KIM SRENG 船のピダン2021-2023(前編)

          はじめに

          2017年、創立者の森本さんが亡くなってから自然と私が制作を仕切る立場になった。 当初は皆が作る布のクオリティーチェックや在庫管理位で、誰が何を作ろうと、どのように織ろうと、どんな長さで織ろうと、何色で織ろうと、口出しはしなかった。しかし途中からこのままでは時代に取り残され生き残れないと思い、商品のディレクションやデザインを始めた。それはクオリティーが云々以前の問題だった。そもそもクオリティーチェックなら他のスタッフでも出来るし、適任であろうスタッフはいた。 うちの職人は