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弱肉強食の実態

3月15日はブッダの命日とされています。涅槃会が全国の寺院で開かれます。今日は弱肉強食とブッダの前世についての話。

以下薬師寺のHPより引用。

インドに大事という名前の王様がいました。この国は富み栄え、いつも正法をもって国民を導いていました。王様には3人の王子がいました。 兄を大渠(だいこ)、弟は大天(だいてん)、幼弟は大勇(だいゆう)という名前でした。 大勇はブッダの前世です。

ある日3人は森に遊びに出掛けました。 すると7匹の子を連れた母虎が、親子共々飢えに逼られ瘦せ衰え、餓死寸前でした。

王子たちは、飢えのあまりあわや我が子を食べようとしている虎を目の当たりにし、 大渠と大天の2人の兄は憐みの心を持ちましたが、末の大勇に向かって「虎は豹や獅子と同じく生肉や生血を食べている。私たちはこの虎の飢えを救うことはできない」と話し、その場を立ち去ってしまいました。

幼弟の大勇は、「人はみな自分の身を愛して他に恵むことを知らない。優れた人は、大慈悲の心をもってわが身を忘れて他を救う。私は百度千度生まれ変わっても身体は腐り爛れるだけです。 この身は変わりゆくもので、常に求めても満たしにくく、また保ち難い。今私はこの身を捨て、飢えている虎の親子を救ってあげよう。」と思い定め、少しも躊躇することなく進んで虎の前に身を委ねました。虎は直ちに飛び掛かり肉を噛み尽くしました。あとは、白骨が辺りに散らばるのみでした。

「捨身飼虎の物語」はお釈迦様の前生譚『ジャータカ』にも登場します。飢えた虎の親子に自らの肉体を「布施」する大勇を薩埵太子(さったたいし)として表しています。 出典は『金光明経』「捨身品」です。

引用終わり。

これは国宝玉虫厨子の側面に絵が有ります。すごい話ですが、この話が伝えるのは単純な自己犠牲の話ではありません。

虎に生きたまま身を投げ出すのは、皆出来ないでしょう。「私は百度千度生まれ変わっても身体は腐り爛れるだけです。 この身は変わりゆくもので、常に求めても満たしにくく、また保ち難い」というのも実態をみすえた現実的な描写です。生きてるだけで身体は保てなくなっていくからです。

自己陶酔のかけらも見当たらず、ノリや勢いで自分を犠牲にしていないのです。

薩埵太子は冷静に見定めた上で虎に身を投げ出し、来世でブッダとして悟りを開いています。ノリや勢いで自分を犠牲にせず、あえて食べさせているのです。

自然界の食物連鎖はピラミッド型で上が下を搾取する。それが正しいと単純に思い込まされてきましたが、このエピソードはそれを否定しています。

実際に自然界でも毒キノコは自分をあえて動物に食べさせる事で風に頼る事なく移動して繁殖します。風だけだと限界がありますが、動物に食わせて移動すると遠くまで楽に行けます。毛に胞子がついたり、体内に入り込む事で楽に遠くまで移動する事ができます。

食べる側が強者で食べられる側が弱者とは限らず、実態はピラミッド型ではないのです。

故にピラミッド型を実態と勘違いしていると思わぬ落とし穴にはまるでしょう。実相はそんな単純な姿ではありません。

あえて自らを食べさせる、という事には無数の気づきがあります。

今日も良い一日を。

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