キャンサーサポート碧い鳥

元がん患者家族、2019年遺族となり酷すぎる悲嘆から季節や気温も感じなくなり病的な悲嘆…

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元がん患者家族、2019年遺族となり酷すぎる悲嘆から季節や気温も感じなくなり病的な悲嘆「遷延性悲嘆症」と診断が下る。がん患者さんを看病する辛さや自分自身をケアする大切さを痛感。その経験からがん患者さんをケアしている方をサポートする非営利団体ケアサポートサービスの立ち上げを計画中。

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【こちらでしっかり自己紹介】

簡単な自己紹介はトップページにありますが、こちらでは詳しい自己紹介をしたいと思います。 今は、梅の季節。確実に春に向かって季節が進んでいるそんな実感があります。 神奈川県横浜市在住、50代の郁子と言います。 2019年秋に最愛の夫と死別しています。夫は直腸がんで4年3か月の闘病の末旅立ってしまいました。 子どもは息子が二人います。 それぞれとっくに独立し、今は孫が二人の現役ば~ばです。 夫を見送るまでは看病に明け暮れながら仕事をし、気丈に振舞いしっかりした女房を演じ

    • 【5回目の春のお彼岸】

      春分の日は、風も強く天気も悪そうだったので前日にお墓参りに行きました。お彼岸とはこの日を挟んで前後3日の7日間と言われていますよね。 春分の日はお寺さんでお彼岸会が開催されるので、いつも激込みです。車が停められない事態になるのでそれを避けたい気持ちもあって前日にお墓参りは済ませました。 夫のお墓は家からそれほど距離は無く、ただ車でないと行き辛い場所に位置します。年を取って車が乗れなくなったらどうするのだろうかと最近は行く度にそのことが心配になります。東京世田谷の一等地にあ

      • 【悲嘆のプロセス⑤】

        悲嘆のプロセス12の段階の詳しい説明は①をご覧ください。 今回はその10~12段階目までを私自身に当てはめて振り返りたいと思います。 この段階はいよいよ立ち直りのステージへと入っていきます。 私はここまで来るのに、かなりの年月かかかりました。 通常の悲嘆は順調に急性期から慢性期へと移っていくものです。 期間的には数週間から数か月で徐々に治まります。 しかし、私の場合は3段階から9段階の間を行ったり来たりしてしまい、(勿論数字通りに進む訳ではありませんが) 自分の力で乗り

        • 【数字に振り回されたのね】

          夫は手術を受けられない状態までがんを悪化させていたから、始めから手術は諦めていました。 しかし、放射線や抗がん剤治療が功を奏し幸いにも手術は一度だけは受けることが出来ました。 でも、実際は開けてみたらやっぱりといった状態でリンパ節に転移が見られ主治医からは「取り切れてはいない」という説明がありました。 再発は100%、近い将来必ず来ると説明されていたので覚悟は決めていたものの、3か月も経たないうちに転移が見られました。 転移しているかもと診察で主治医から告げられた日「明

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        【こちらでしっかり自己紹介】

          【出来ない自分を許すこと】

          今日、玄関を掃除していてふと思い出しました。 夫が亡くなる1年くらい前から死別後4年近く、外玄関の掃除が全く出来なかったことを。 普段我が家は夫が外玄関に水を流しデッキブラシで擦り、そしてまた水を流して拭き上げて。とマメに掃除をしてくれていました。 夫は愛車のクラウンが少しでも汚れるのが嫌だったのか、年がら年中洗車をしていました。それは趣味なのかと半ば呆れるほどで。 コーティングもかけているし黒いボディーでも無かったので、特に汚れている感じもしない。それなのに、時間を見

          【出来ない自分を許すこと】

          【ストレスの尺度とは】

          社会的再適応評定尺度って聞いたことがありますか。 アメリカの心理学者、ホームズ&レイが開発したストレスの量を数値化したものです。 結婚を中心の50に置いています。結婚も嬉しいことのようにも思えますが、生活が全く変化することを考えるとストレスでもあるのですね。 この表で確認すると1位は配偶者の死です。100という一番高い数字になっています。 親密な家族の死は63、これはその方との関係性もありますから人それぞれかなと私は思います。もっと高い数値に感じる方も居れば、それほど

          【ストレスの尺度とは】

          【悲嘆のプロセスとは④】

          悲嘆のプロセス12の段階の詳しい説明は①をご覧ください。 今回はその7~9段階目までを私自身に当てはめて振り返りたいと思います。 7段階 空想形成や幻想 故人がまだ生きているのではないかと思い込んで、実生活でも生きているようにふるまってしまう。 例えば、「故人が帰って来るのではと部屋のそのままにしておく」「食事の準備を変わらずする」などがこれに当たります。 ↓ ↓ ↓ 私の捉え方 私にはこういった感情はありませんでした。冷たいのか、はたまた現実主義なのかは分かりません。

          【悲嘆のプロセスとは④】

          【恨みや敵意-2】

          愛する人や大切な人を亡くしてしまった。 今まさにそのような状況に直面しようとしている。 そのような方に向けて私なりの悲嘆(グリーフ)について当時、そして今の気持ちを綴っています。 辛すぎる時って、自分だけがなんで・・・と思いがちですが、ここにも悲嘆に暮れる日々を送った人物がいた事を。 現在苦しみの渦中で泥沼から抜けられない、深い哀しみの中で真っ暗闇に感じている方にとって少しでも気持ちが楽になるような記事が綴れていれば嬉しいです。 昨日記事を綴りながら、改めて当時の自分の気持

          【恨みや敵意-1】

          愛する人や大切な人を亡くしてしまった。 今まさにそのような状況に直面しようとしている。 そのような方に向けて私なりの悲嘆(グリーフ)について当時、そして今の気持ちを綴っています。 辛すぎる時って、自分だけがなんで・・・と思いがちですが、ここにも悲嘆に暮れる日々を送った人物がいた事を。 現在苦しみの渦中で泥沼から抜けられない、深い哀しみの中で真っ暗闇に感じている方にとって少しでも気持ちが楽になるような記事が綴れていれば嬉しいです。 第五段階のところで、医療者に対する恨みなどは

          【悲嘆のプロセス 怒りと不当感】

          愛する人や大切な人を亡くしてしまった。 今まさにそのような状況に直面しようとしている。 そのような方に向けて私なりの悲嘆(グリーフ)について当時、そして今の気持ちを綴っています。 辛すぎる時って、自分だけがなんで・・・と思いがちですが、ここにも悲嘆に暮れる日々を送った人物がいた事を。 現在苦しみの渦中で泥沼から抜けられない、深い哀しみの中で真っ暗闇に感じている方にとって少しでも気持ちが楽になるような記事が綴れていれば嬉しいです。 前回の記事で4段階目の「怒りと不当感」につい

          【悲嘆のプロセス 怒りと不当感】

          【悲嘆のプロセスとは③】

          悲嘆のプロセス12の段階の詳しい説明は①をご覧ください。 今回はその4~6段階目までを私自身に当てはめて振り返りたいと思います。 現在進行形で悲嘆に向き合っている方もいらっしゃるかと。自分だけが特別では無いのです。 どこかの誰かもこのような状態で苦しんでいるかも知れません。現に私は苦しみ抜きました。でも、絶対に光は見えてきますからね。 4段階 怒りと不当感(なんで私がこんな目に合わなきゃならないんだ) 死別が避けがたい事実であり、受け入れないといけないことなのだと理解し

          【悲嘆のプロセスとは③】

          【悲嘆のプロセスとは②】

          悲嘆のプロセスとは①で12の段階があると綴りました。 今回はその3段階目までを私自身に当てはめて振り返りたいと思います。 現在進行形で悲嘆に向き合っている方もいらっしゃるかと。 自分だけが特別では無いのです。どこかの誰かもこのような状態で苦しんでいるかも知れません。現に私は苦しみ抜きました。 でも、絶対に光は見えてきますからね。 1段階 精神的打撃と麻痺状態 (大切な人の死に直面して頭が真っ白になってしまいます。 何が起こったのか、起きていることが分からないといった感じ

          【悲嘆のプロセスとは②】

          【悲嘆のプロセスとは①】

          誰にでも大切な方との別れはあります。 それは生きている以上どうしても避けられないことです。 今回悲嘆には「12段階」のプロセスがあることについて書いてみます。 大切な人との死別によるショックから立ち直るまでを見てみましょう。 アルフォンス・デーケン 悲嘆のプロセス12段階 アルフォンス・デーケン先生(ドイツ)は死生学における代表的な学者であり草分け的な存在。司祭であり哲学者であり、上智大学の名誉教授でもあられた方です。 その方が唱えた悲嘆のプロセス12段階というの

          【悲嘆のプロセスとは①】

          【予期悲嘆とは】

          終末期のがん患者さんを抱えるご家族は、患者さんの病状変化に戸惑いの日々を過ごされていると思います。 その変化は目まぐるしく明らかに進行していると感じる時があったり、かと思うと安定していて「もしかしてもう少し頑張れるのかも」と思える日があったり、急に容態が悪くなり救急で病院へ搬送したり、死期が近いのではないかと実感したりします。 勿論私自身もそうでした。 夫の余命を告げられ、比較的早い段階からこのような日々の繰り返しで予期悲嘆を経験していたことはよく覚えています。 そも