東直子「とりつくしま」

死んだらどうなるのだろう。多分、ただ消えるだけ。
ですが、まだ死にたくない、と思いながら死んだときに、生き返ることができなかったとしても、せめて近くにいたい人のそばにいることができたら。
そんな願いがかなえられた時に、どんなことが待ち受けているのかについて書かれたのがこの物語たちです。

モノになってもう一度、この世を体験できるのです。あなたはそれを望んでいるはずです。ただし、生きているモノはダメですよ。生きているモノには既に魂の先住民がいますから。

そう語る「とりつくしま係」が用意する契約書によって、モノとしてよみがえることができます。
11人の物語が登場します。
本当にいろんなモノとしてよみがえるのです。名札やリップクリーム、扇子、マッサージチェアなど。
モノだから近くに行きたかった人に働きかけることはできません。ただそこにいるだけ、見て、聞いて、感じることしかできません。

私だったら何になるだろうか。

やっぱり自分の家に戻ることになるのだと思います。ぱっと思いついたのが、くすんだ紫色のホーローの鍋。
珍しい色を見つけて購入したお気に入りです。もう9年になります。ほぼ毎日使っています。何度もこげつかせてしまいましたが、重曹を溶かした水を入れて沸騰させたりしてきれいにして使っています。あっという間に沸騰するし、煮物もいい感じに仕上がります。
料理をしてあげることはできないけれど、みんながごはんを食べる場所の近くにいたい、と浮かびました。いや、ひょっとしたらこの鍋が大好き過ぎて、もっと使いたかったということなのか。
ただこの鍋、すごく重いので、私以外はあまり使いません。夫も他の鍋を使います。
なので、もしかしたら、棚にしまわれたままになってしまうのかもしれません。薄暗い棚の中で、家族の声だけ聞いて過ごすのはちょっとさびしいかもしれません。

本を読みながら、愛ってこんな感じなのだろうな、と感じました。ただ近くにいるだけ、何もすることができない、どんなに念を送っても届くはずはないのです。
そうであったとしても、近くにいられることに喜びを感じるのです。
役割を終えて、モノとしても消える運命が訪れる物語もありました。でもそれでも、愛する気持ちは変わりません。

番外編として最後に納められていた物語「びわの樹の下の娘」だけは、少し趣が変わっていました。ただ見ているだけ、というのではない、ちょっと怖い物語でした。

生きているということは、とても奇跡的なことなのだと感じました。

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