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福森伸(しょうぶ学園施設長)「ありのままがあるところ」

障がい者をありのままで受け入れることについての話かと思っていたのですが、読んでみると、自分自身の人生について考えさせられることになりました。

しょうぶ学園は1973年4月1日に創設された民間福祉施設です。著者の母親が中学校の特殊学級で障がい児を受け持っていました。そこでの師に「どんなに障がいが重くても誠心誠意に子どもたちに接すれば、一人ひとりの人生を尊ぶことになる」という考えに心打たれました。そこから、子どもたちの将来のためにも、自らが障がい者施設を立ち上げなければいけないとの思いを強くし、著者の父である夫とともに夫婦で開設準備を始めたといいます。
著者は親の仕事を継ぐことを考えていたわけではありません。ですが、東京でカフェやパスタ店でアルバイトをしながらメディアなどの仕事目指していて、当時若者に人気のデザイン会社に勤めることが決まりそうになった時に「おまえの親は福祉施設を経営しているんだろう?『親の仕事を継ぎます』と言って途中でやめられてもらっては困る」と言われました。その言葉で、帰らないと決めているわけではない中途半端な気持ちでいることに気付き、思い切って帰ることにしたのです。
そこから、利用者である障がいのある人たちとどう向き合っていくか、という著者の問いが始まります。

その間、福祉の制度は、措置から自立支援法、総合支援法と変遷していきます。総合支援法の理念は次のようにまとめられます。

  • 障害のあるなしに関わらず、共生する社会を実現する

  • 全ての障害のある方が身近な場所において、必要な日常生活又は社会生活を営むための支援を受けられる

  • そのために社会における障壁を解消していく

ですが、実際には、障がいの軽減をどうするか、訓練によっていかに社会に出ていけるか、という視点に立っていることが多いと思われます。
著者も、もちろん障がいの程度の軽い方は、社会に適用できる能力を身につけることで、民間企業で働き、給与を得て、喜びを得ることができると考えています。ですが、重度の人に対しては、また違った視点が必要なのではないか、という提言です。

しょうぶ学園の中の様々な利用者のエピソードが紹介されています。

まっすぐに縫いましょうと、下絵の通りに刺しゅうすることを教えようとしても、布が丸まってしまうくらい刺しゅうしてしまう人。

木に模様をつけましょう、と言って、ここまで彫ればよいといってしるしをつけて彫刻しても、「できました」と言って満足げな表情を浮かべるので見てみると全て木くずにしてしまっている人。

粘土をまるめて穴を開け、ボタンを作ってもらいたいのに、ただただたくさん丸めてバケツの中に放り込んでいく人。

最初はなんとかこちらの思うことをやってもらおうと四苦八苦しますが、それは違うのではないか、という気がだんだんしてきます。

そして、思うがままにやらせてみる、ことにします。最初はそのことにとまどっていた利用者も、「これでいいの?」という雰囲気から、徐々に「これでいいんだ」という自信に変わってきたそうです。

ただ、支援すると同時に指導する立場であった職員たちは、著者たちのやり方についていけなくて、また著者自身も理解できない苛立ちがあり、結果として、大量退職した時期などもあったそうです。
そこで著者は、障がい者に対しては、その人らしさを大切にしようとしていたのに、職員に対しては、全くそういう気持ちがなかったことに思い至ります。

利用者との何気ない会話の中で「50歳を過ぎたら誰も自分のことを相手にしない」という言葉を聞きます。そこから、周りを気にするのはやめようと思うのです。
そして自分が正しいと思うやり方で進めていきます。
つまり、利用者を理解し、その行動に寄り添い、指導するのでもなく利用者をケアするのでもなく、利用者が自分で障がいと感じていることについてケアするということを大切にしていくのです。

そうしたしょうぶ学園やデイケアセンターの様々な運営から、アート作品や音楽が生まれました。
アート作品を通じてしょうぶ学園に興味を持ち、まるで観光地やデートスポットのように、訪れる人が出てきたそうです。
とてもすごいことだな、と思います。
アートを通じて、多様性を理解するとは、こういうことなのだと思います。

私の長男は重度の知的障がいです。育ててきて、思い通りになんかならないんだ、ということを嫌というほど見せつけられてきました。世界中から、私の育て方が悪いと責められているような気持ちになることもありました。
でも、彼は彼の人生を生きているのだ、とある時から感じるようになりました。だから、著者のいうことはよく理解できました。とはいえ、割り切れているわけではありません。

だから、この部分は読んでいて救われたような気持ちがしました。ちゃんと私たちのことも理解してくれていると。

今でも彼らの「狙わないがゆえの自然な振る舞い」を心からかっこいいと思ってはいる。けれども、そんな言葉では済まされない現実が親にはある。癒えない苦しみや悲しみと言った、壮絶な葛藤を抱えているかもしれない。我が子が『普通』でないことの悲しさは計り知れないものだろう。先回りして考えることはないからこそ生まれる作品があり、それが世間から評価されたとしても、おそらく子どもよりも先に死ぬであろう親の立場からすれば、創作活動よりも将来の生活を案じることが最優先なのだ。

本書

文字を書くなんてもちろん、絵を描いたりすることも難しいです。自分の子どもの能力についてそんな決めつける言い方をするのに罪悪感はありますが、社会に適用するよりは、彼の本能の中に何かを見つけることができたらなと思います。

この本は、市内にある地域活動支援センターⅡ型「TRYあんぐる」の利用者さん達が作ったちくちく(刺繍)作品を販売しているところに添えられていました。福祉施設でのアートの取り組みについて書かれた本だと思いました。
TRYあんぐるでもこんな風な考えで、利用者さんたちと作品を作りあげてるのかなと思いました。


けれど、著者はもっと深いところにまで話を進めます。人と人の間に存在するアートの取り組みを通して、障がいのある人への理解が深まり、さらには人としての生き方にまでたどりつくことになります。

私たちも本当は自分のことばかり考えていけばいいのに、どうしても社会のシステムに合わそうとする習慣から離れられない。社会という群れから離れては生きていけないという恐れを持っているせいかもしれない。本当は自分の評価は自分で決めればいいはずだ。自分でものを作ったり、さまざまに体験する中で学ぶのではなく、他人の授けてくれる知識をつけることにかまけてきたので、常識が刷り込まれて社会の判断基準に則らないと生きていけないと思うようになった。

本書

常に人の目を意識し、疲れている人が多い気がします。私自身は傍若無人な部類ではありますが、それでも頑張っても報われないことに傷ついていたりもします。
そして若い頃は無理もできたけれど、最近はそうでとありません。
周りに対する優しさは忘れずに、自分の気持ちを大事にして行きたいなと思いました。

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