わたしの偏愛~日常を愛する歌詞~

先日、Twitterを見ていたら下記の歌詞が引用されていた。

・みんなに必要とされる 君を癒せるたった一人になりたくて少し我慢しすぎたな
―「誰かの願いが叶うころ」

心の琴線に触れる歌詞。

わたしは宇多田ヒカルさんのいくつかの歌詞が好きだったのを思い出した。気持ちをしっかり閉じ込めておく魔法瓶のようなものだ。

いくつか自己満足のためにここに好きな歌詞をまとめておこうと思う。

君はいつからだって 何にだってなれる

そんなことをいってくれている歌詞もとても好き。ミュージック、音として好きな曲はほかにもあるけど歌詞もこんなに響くアーティストは少ないと私は思う。

・友達の心配や 生い立ちのトラウマは まだ続く僕たちの歴史のほんの注釈
・僕の親がいつからああなのか知らないけど 君と僕はこれからも成長するよ
・悲しい話はもうたくさん 好きだって言わせてくれよ(聞かせてくれよ)
―play a love song

(↑私が一番好きな曲です。笑)

NHKのsongsという番組で宇多田ヒカルさんの特集をしていた。

その時に、なぜ宇多田ヒカルさんの歌は流行に捕らわれないか、という文脈で、下記のようにおっしゃっていた。

音楽を聴いている人が、いつの時代でどんな立場で境遇にいるかとか関係なく音楽を届けたい、一人の部屋で音楽を聴いている人をイメージして音楽をつくっている

だからこそ人間の本質的な部分にスポットがあてられるのかと思った。

星野源さんの、何でもない日常を美しく愛おしくととらえている歌詞観にもひかれるのだが、そこに通じる部分があると思う。

・つづく日々の道の先を ふさぐ陰にアイデアを 雨の音で歌を歌おう  ーアイデア

カラオケで星野源さんの「アイデア」「family song」「化物」や宇多田ヒカルさんのここに挙げている歌たちを歌っていたら、友人から『同じようなメッセージ…』と言われた。確かにそうかもしれない。日常を切り取り、そこに価値を置く歌詞が好きなのかもしれない。


宇多田ヒカルさんも星野源さんも「二人(一人)vs現実世界」のような感じがする。

二人が出会う前のそれぞれの孤独が強いほどにその間で生まれる愛は大きくなる、と言われている。(エーリッヒ・フロム「愛するということ」)

星野源さんに比べて孤独や不器用さ、追っている傷が宇多田ヒカルさんの歌詞の主人公は大きい感じ。星野源さんはより大衆の中で生きている人がモデルの感じがする。

・人間なら誰しも当たり前に恋をするものだとずっと思っていた だけどもしもあなたに出会わずにいたら誰かにいつかこんな気持ちにさせられたとは思えない
―初恋

・多くは望まない 神様お願い 代り映えしない 明日をください
・一日の終わりになでおろす 好む稲を頼りにしている人がいる くよくよなんてしてる場合じゃない
・戦争の始まりを知らせる放送も アクティビストの足音も届かない この部屋にいたい もう少し
―あなた

みんな、それぞれのかけがえのない日常を生きているんだなあと思う。

まとまりなく書いてしまいました。こうやって好きなことを、すごい考察なしに、ただ好きだと表明できるnoteっていいなあと思って。

ひとまずこのくらいで。

寒い日が続いていますが、皆様も、お体ご自愛下さい。

たくさんの愛と感謝を込めて。



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