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Twitterはインドの修行みたいだった。


先日Twitterアカウントを消去した。
度重なる仕様の変更や、あてのない自らの運用自体に疲れてしまったからだ。
2021年の始め頃にお絵描きアカウントとして立ち上げたものだった。

およそ十年以上前、まだ学生だった頃にTwitterは触った事がある。
ほぼ知り合いばかりの遊び感覚で使っていた為楽しい反面、愚痴が増えると伝播しやすく鬱々としたり、あらぬ勘違いされたりするといったSNSらしさみたいなものは多少分かるつもりでいたが、それでも今のTwitterの雰囲気を知りたかった。


有名人や企業系のアカウントを省き、いたって個人がどのようにして運用しているかを眺める。
この5、6年に作られるアカウントの風潮なのか、一つのことに特化したアカウントが多い。

イラストであれば自身の絵をあげるが、それもずっと同じようなテイストや構図の絵柄をひたすら上げる。
絵描き自身が絵柄を確立している、または、ほぼプロとして活躍していれば、色々な絵をあげられる器用な人達も中にはいるが、ほぼ趣味と言えるような範疇で運用している人達だろうか、似たような絵図をひたすら掲載し続けている。プロアマ問わず無駄な発言もせず毎日々々。

さながらインドの修行のようだ。

切っても伸び続ける髪や爪、髭は生命の象徴とし「特別な力が宿る」と信じられ、髭や爪を伸ばし続ける。一般的な習慣であり、そのまま生活し続けたり、一方特別な日に願掛けとして蓄積されたそれをバッサリ切る、など人や集団によって若干アレンジは見られるが大まかにそんな修行と呼ばれる習慣がある。
昔テレビで聞き齧った知識ゆえに、専門家ではないので詳しくは知らない。

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自発的にネタ作ってアップロードする事と放っておいても伸びる物とで性質が違うので、あまり良い例えではない。
信じて伸びるのを待つというところが共通しているだろうか。

どうにもこのやり方に違和感があるが、何故このような行動をするかと言えばフォロワー数獲得のためだ。
日頃からこういう事をやっていますというアピール、少しでも日々の変化を見たいという心理を利用して、アカウントの信用を得る為。

アカウントに信用があるかどうか判断されるに、ほとんどフォロワー数でしか読まれない。
よってまともな運用を望むのであれば、ひとまずフォロワー数を伸ばせ、がセオリーらしい。


自分が大した交流もせずネットにこうしてアップロードしているのは、この日時にこういう事をしていたという記録をする為だ。
もっともnoteは後々から編集出来てしまうので信憑性が減る部分はあるにしても、それまでの蓄積や経過というものは大まかに残るはず。

フォロワーを伸ばす意義がずっと分からなかった。フォローするのは他人の意思なのだし、他人を意識してしまえば自分のやりたいことが出来なくなる。
自己顕示欲にピンと来ないのはネット黎明期育ちと、物心ついた頃からSNSと馴染みの深いネットネイティブ世代との違いもあるだろうか。ネットネイティブ世代のことは分からないが、大人がこうしてまで必死になるのはほぼ金のためだ。

絵を描く事と金に結びつけることを自分は考えていない。DTPの仕事をもらう際、自身のポートフォリオを見せると「絵も描けんの?」なんて言われたがそれは断った。絵本みたいなWebサイトを作った事があるのをファイルに挟んでいただけで、絵そのものを描くことに関して人にとやかく言われるのを想像したら、とても嫌だった。

そして自分は独学の方が得意らしい。細かい情報を得たり些細な励まし合いをするよりも、解説の上手い動画を見たり実践的にじっくり取り組む方が性分に合っている。
SNSで反応はあれど、いいね1つ貰えるだけで満足してしまう。ハッシュタグを利用してだが、見てくれる人はいるんだ、と思わなくもない。
褒めてくれた人には感謝している。国内外、フォロワー数多い人少ない人、色々なタイプの人がつけてくれた。
ただそれだけだなとも思う。バズってみたり、バズる事を目標にでもすればまた何か気持ちが変わったかもしれないが、無闇に目立つのも苦手であるし、バズとは縁がなかったようだ。


そしてTwitterは良くも悪くも距離が近く、他人の絵を見ているとどうにも無意識に影響を受けてしまう。

平たく言えばパクってしまいかねないという話だ。技術だとか効率化、流行りなどそういった所を真似するのは良いかもしれない。自分が懸念するのは「ネタ」をパクってしまわないかという懸念だ。
何故こんな「ネタのパクり」を気にするかと言えば、何の迷いもなく他人の「ネタ」をパクる人間が嫌いだからだ。こんなことは中学校までで終わって欲しかったが、他人の作品のトレースで個展を開いた話や、部下の落書きを自分のデザインとして発表するデザイナーの話など、大人になってまでこんなことは世間で起こっている。

そしてSNSの距離の近さ、滞在時間の長さゆえに、インスピレーションをインターネットからのみ得ようする人間が少なくない。
個人的にはこれはかなり危険だと思う。身の回りに他人の話を奪う人間が居なかっただろうか。その場ならあいつ……となれるだろうが、ネット上だと「あっ」と思う瞬間があっても意見するほどの仲や立場でもなし、ほぼスルーしてしまう。パクツイなど日常茶飯事だ。言われないだけで、いつの間にか恨みを買っているだろうという事象はよくみかける。

前々から見かける「ご意見」で炎上していた件があったが、あれは初見であれば一理あるとして笑える話だった。が、鬼の首とったかのようにそれを論破の材料として都合よく利用するのはどうかと思う。段々時間が経つにつれ「いや毎回それ言うなよ、それなら」という思考が育った結果、またその「ご意見」を見かけた事による積りに積もった鬱憤が爆発したのではないだろうか。
他人の「ご意見」濫用は危険だ。『(任意のカリスマミュージシャン)』は俺私たちの代弁者だ、というのも他人の言葉に乗っかっているだけのようであまり好きではない。

上記の「ネタ」という表現も曖昧だが、この嫌さを例えるなら、知らない陽キャ風大学生がマイナーな芸人のネタ真似を得意げにしながらウケを取ろうとしているのを目撃した時の薄ら寒い気持ちに近い。


さて、自分でも中々厄介な人間であることに気づいてきたが、こんな人間が改めて客観的にどういう運用をしようかと考える。
お絵描きアカウントとして他人は何をしているだろうと見ている時に、また嫌なものが目に入る。

主にファンアートとして運用している絵描きが、いわゆる名誉男性な発言をしていたのだ。どんなに素晴らしい絵を描いていても、そういった気配が一瞬見えただけで辟易としてしまう。クリエイターかて人間なのだから、意見など持つななんていうのは当然暴論だ。けれどこうした不利益を考慮すると何も言えなくなってしまうのも事実だ。

はたまた、二次元イラスト系だけど美術手帳にもフォローされているイラストレーターを見ていた。
この人は国内外で仕事を請け負っているようだがとても意識の高い人で、他人に求められる絵も自分が描きたい絵も両立させようと努力をしている。移り変わる絵の考察、体調不良、同業者や企業への愚痴。中々鬱々とした内容だが分かる話だったのでつい見てしまう。

こうしたものばかり見ていると、確かに何ら関係ない愉快な画像やネタを見て気分を中和したくもなる。

流れてくるツイートツイートを見ていると、意識的にも無意識にも自分は色々なジャッジを常に下している。
このアカウントは人かボットか。クリエイターか転載か。男か女か。主義や偏見はあるか。本心か建前か。どんな感情で発した言葉か。
膨大な数だんだんそれを毎回するのが億劫になり、面白ければ良いじゃんと投げやりにもなってくる。だからこそアカウントの信用は必要なのだなとも思う。

Twitterを改めて始めたタイミングで、自身が押した「いいね」が他人にも見えるようになった。
基本的にはその言葉通り良いと思ったものを押していたのだが、そういう考え方もあるんだという感心だけで押していた時もある。なので一概にただその内容に全面同意していた訳でもなく、ブックマーク代わりにホイホイ押していたりもした。
しかしこのやり方もあらぬ誤解を生むこともありそうで、ブックマーク機能も一応あったので扱ってみたが、使いにくかった。何より度重なる仕様変更で、UIが変わると「あの機能どこいった?」みたいなことも多々起こった。

自分の振る舞いを鑑みればノイズだらけでろくなものではなかっただろう。
始めに書いたように修行の如く、黙々と絵だけアップロードしている作業に徹した方が効率もいいし心も乱れにくい。
それならTwitterでなくとも、pixivやInstagram、tumbler辺りでもいいかと思う。


自分と似たような人間が探せればよかったのだが、その為にもフォロワーを増やすことには意義があったのかもしれない。
が、居たところで絡もうとか連もうとも思わない。フォロワーを増やしてやりたいこともなく、あまり楽しい使い方も思いつかないので消した。

闇雲に個人情報や知的財産をばら撒いても意味がない。個人情報に関連しそうなことはフェイクを交えた事もあるが、効果の程は分からないし微々たるものだろう。今まで言及した事がないフォロワー数をこうも取り上げるのは、どうもフォロワー数少ないやつには何をやってもいいという企業の気配がしたからだ。消したところで意味がないのは分かる。しかしこちらとしてはせいぜい見ないようにするくらしか出来ない。本当に残念だがこちらは非力だ。
妄言だと思われてもいい。とにかくこの環境は気が狂いやすい。

ミュートやミュートワードも多用していた。
何度もそんな心境で消そうとはしたが、管理するものが減るとすごく気が楽になった。


あくまでここまで主観的な話だ、と一々こう述べないとならない現代は面倒だ。
大概のことは気のせいだとやり過ごしてきたが、限界が来た。
世界のあらゆる事象よりも、自分の心の安寧の方がなにより大切だ。

潜入しないと分からないこともある。Twitter運用したことにも消したことにも後悔はない。


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