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震災から10年、福島から海外へ避難して〜Ⅹ 内部被曝した⁈

Ⅹ 内部被曝した?!

私は町営住宅に住んでいたのでどうしても全部の荷物を引き揚げざるを得ず、また、あの短い滞在中に分別して物を捨てることもできなかったので、放射能がついたであろう物を持ってきてしまいました。子ども達は「大丈夫なの?」と心配そうでしたが、どうしようもないので、「大丈夫、大丈夫。」と言うしかありませんでした。出来るだけ拭き取れる物は拭き、外に置きっぱなしだった子どもたちの自転車ごしごし洗っただけでした。
でも本当は、福島にあった物は全部処分して、和歌山で買い直した方が良かったのだと思います。汚染された物を持ってきてしまったら、せっかく和歌山に避難した意味がないとも思います。私には、その勇気がなかったし、浅はかだったなと後悔しています。


 避難して数ヶ月は、頂いた和歌山産のお米を食べていましたが、それも尽きました。福島に置いてあった、30㎏の米袋に入った食べかけのお米、25㎏くらい残っていたのでもったいなくて捨てずに6月頃から食べてしまいました。玄米だったので、精米すれば大丈夫かと思ったのです。
 ところが、食べだしてすぐ、今まで経験したことがない、吹き出物や湿疹が出ました。顔が真っ赤になり、手が湿疹であちこちひび割れて手を濡らせなくなりました。のどがヒリヒリする違和感もありました。
私はお米のせいとは思わずに、母のことでストレスがたまっているせいか、ビールの飲みすぎのせいかと思って、1か月以上そのお米を食べ続けていました。しかし、湿疹はひどくなるばかりですし、のども、金属っぽい味がするようなヒリヒリした感じがして、のどが渇いていないのに水ばかり飲んでいました。私は、糖尿病になったのかと思いました。
 その時、インターネットで野呂美加さんの講演を聞き、彼女が代表を務めている『チェルノブイリへのかけはし』というサイトから、Our Planet TVの番組にたどり着くと、私と同じような症状が出ている人がたくさんいました。その頃は、下痢も出ていました。子どもたちも鼻水や目のかゆみなど花粉症のような症状が続き、お腹や耳が痛くなるなど体調がなんとなく悪くなっていました。野呂美香さんの資料の図も見て、初めて「内部被曝かも?!」と疑いました。

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『子どもたちを内部被ばくから守るために
親ができる30のこと─チェルノブイリの体験から』
野呂美加著 筑摩書房


その頃は汚染稲わらによる牛肉の放射能汚染がニュースになっていたので、牛肉が原因かもと思ったのですが、めったに牛肉は食べないので、福島から持って来たお米が原因かもしれないと、ようやく気がつきました。
 そう思ってその日の朝に炊いたお米を食べてみると、のどを通ったとき、あの金属のようなヒリヒリ感をはっきり感じ、「これだ!」と判りました。


 ちょうどその時、和歌山で知り合った関東からの自主避難者である友人が、チェルノブイリに行ったことがあり放射能に理解のある山崎知行さんというお医者さんが岩出市にいらっしゃると教えてくれました。すぐに診察を予約して米袋を持って行きました。
 山崎医師は親身になって話を聞いて下さり、また、7月に私の住んでいた小綱木の横の国道114号線を、放射線量を測りながら通ったことがあるということで、福島市や川俣町の放射線量や、福島での人との出会いのことを話して下さいました。お米自体の放射線量を測ることはできないが、米袋の表面の放射線量なら測れるということで測っていただくと、毎時0.23マイクロシーベルトもありました。
ただ、山崎医師は、岩出市でも震災後、空間の放射線量が毎時0.2マイクロシーベルト以上になったことがあるので、地表の線量と変わらないかもしれないとおっしゃいました。でも、7月には空間線量も大分下がっていたので、私はやはりお米が原因の内部被曝の症状だったと思います。子どもたちも福島のお米を止めたらすっかり元気になったからです。
 早い時期に放射能から逃げて自分は賢いつもりでいたのに、なんて馬鹿な母親でしょう。しかも外部被曝と違い、内部被曝は取り返しがつかないのです。子どもたちに謝っても取り返しがつかない過ちを犯してしまいました。本当に悔やんでも悔やみきれません。
 正直に子どもたちに打ち明け、謝りました。子どもたちはぎょっとしたものの、すぐに「大丈夫だよ、お母さん。気にしないでいいよ。ほんとに大丈夫だから。」と私を慰めてくれました。子どもの優しさに、涙、涙でした。でも、許してもらっても、被曝させてしまった事実は取り消せないのです。
 
 それまでも西日本産の食材しか買っていませんでしたが、それからは特に、肉や牛乳、卵などの放射能汚染に気をつけるようになりました。

 でも、子供達が友達の家に遊びに行く時に持たせるおやつは市販の物を買って持たせていました。また、学校給食は西日本産の物が中心だと言うので給食は食べさせていました。

  2012年2月に子供達の尿検査をしたら、福島由来の放射性セシウムが微量ですが検出されてしまいました。大ショックでした。すぐに学校に伝え給食をやめてお弁当に切り替え、オヤツも安全な物だけ選ぶようにしました。


 ハイロアクションの大賀あや子さんと、3月12日からの避難のことや内部被曝のことを話したとき、私が千葉から脱出した3月15日は放射性物質が大量に拡散していたので、外に出ず家にこもっていた方が良かったということや、家具や持ち物に付着している放射性物質が内部被曝の原因とも考えられるということを指摘されました。私のしたことは、良いことのつもりで一番悪かったのかもしれません。ショックでした。 
しかし、今さら過去は変えられません。山崎医師のアドバイスの通り、食物繊維やビタミン・ミネラルを沢山摂る生活を続けて放射性物質を出してしまうしか方法はないのです。


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