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震災から10年、福島から海外へ避難して~Ⅴ 3月14日 物不足と3号機の爆発

Ⅴ 3月14日

1.物不足!

 翌14日、計画停電が始まりました。母の家のある地区が何時から停電になるのか、停電が本当に実施されるかは直前にならないと分かりません。とにかく大量に洗濯物が溜まっていたので、洗濯機を3回も回しました。母の家では干すスペースが少なすぎるので、コインランドリーを探しに行きました。
 また、停電中は冷蔵庫が使えなくなるので、乾物など日持ちのする食糧を買いに行こうと買い出しに行きました。
 昨日行ったイオンタウンへの道路は、昨日以上の長い車の行列が出来ていました。1時間近く並んでやっとジャスコに入ると、もうすでにお米の棚はカラ、パンもほとんどなく、わかめスープの素などもほとんどありませんでした。ティッシュペーパーもすでにひと箱もありませんでした。オイルショック並みだなぁと思いました。残っていたのは、お菓子、野菜や肉・魚の生鮮食料品、計画停電で溶けかけた冷凍食品などでした。
 私も主食のお米が一番心配だったので、わずかに残っていた発芽玄米の小さな袋と麦の袋を買い、お麩や小松菜とホウレン草を乾燥したものなど乾物も少し残っていたので、それらも買いました。レジには長い列が出来ていました。
 帰ってから母に言うと、「まさかそんなことはないでしょう。じゃあいつものスーパーに行ってみるわ。」と言って母は出かけました。
 母は帰ってくると、「ほんまや。こんなんしかなかったわ。」と、大量のおかきやクッキー、お菓子類を見せました。「これを買うのにも大分並んだんやで。」と、驚いた様子でした。
 ガソリンスタンドの行列もすさまじくなっていて、1000円分の給油制限がなされている所が多く、それでも夕方にはもうガソリンが無くなって営業終了するスタンドがほとんどでした。
 コンビニにも行ってみましたが、おにぎり、パン類がかなり少なくなっていました。また、停電のため品質が保証できないということで、ジュース類やアイスなどの冷蔵・冷凍食品が販売中止になっていました。
 私たちは、翌15日に首都圏を離れるのですが、この後、首都圏の物不足はかなり深刻になったそうです。大衆が買いだめに走る心理と物のなくなる速さを見て、ほんとうに驚きました。


2.  3号機の爆発!

 3月14日朝は、原発のニュースも大きかったですが、首都圏では計画停電のニュースの方が繰り返し伝えられていました。
 ところが、14日午前11時1分、福島第一原発3号機が爆発しました。
 「まさか! そんな?!」信じられない思いでした。11時46分には、枝野官房長官が、放射性物質が大量に出ている可能性は低いとのコメント。12時43分、現時点で格納容器の健全性は維持されていると言いました。「爆発したのに放射性物質が大量に出ていないなんて、ウソだ!」と思いました。
 しかも今度は、2号機で午後1時25分頃に原子炉の冷却機能が全て失われたことが明らかになりました。原子炉の炉心の水位は午後0時半から午1時半ごろにかけて、約300センチから約240センチに低下し、東京電力は、格納容器の内部の圧力が高い状態が続いているため、外部に空気を放出するなどして安全を確保する方法を検討するというニュースが流れました。
 このニュースを聞いて不安に思いながらも、福島から遠い首都圏にいるという思いから、子どもたちに公園に連れて行ってとせがまれると連れて行きました。前日の柏の葉公園の楽しさを弟と妹から聞かされた長男は柏の葉公園に行きたがったのですが、月曜日は休園日で駐車場が開いていなかったので、私が子供の頃によく遊んだ、機関車のある柏西口公園に連れて行きました。
 三人は、滑り台や砂場で嬉々として夕方まで遊びました。私は砂遊びにつきあってやりながらも原発事故が心配で、コンビニで買った数紙の新聞を穴の開くほど読んでいました。
 19時25分には、2号機の冷却水の高さが急激に下がり、午後5時すぎに燃料棒が水面に露出し始めたというニュースが。
 20時14分のニュースでは、午後6時20分から海水を入れる作業を始めたが、その後、ポンプの燃料が切れて注入できなくなり、燃料棒がすべて露出している可能性があること、「炉心が溶けた可能性は否定できない。」とも報じられました。
 21時03分の官房長官の記者会見では、周辺で放射線量が確認されたため、燃料棒が破損した可能性があることが明らかにされました。しかし、「一定の管理のもとで、今なお安定化に向けた方向性に、現時点で進んでいる。最悪の事態を想定しても、チェルノブイリ(原発事故)と同じようにはならないとみている。」という説明でした。
 そして、21時37分には福島第一原発の正門付近でこれまでの最高となる3.130ミリ(3130マイクロ)シーベルト/時の放射線が観測されました。
 

 私は、どんどん悪化する事態に、またもやどうしたらいいか、全く判断がつきませんでした。もう福島には戻れない気がしたし、千葉よりも和歌山の方がいいような気もしました(母の生家が空き家であるので)。でも、せっかく大変な思いをして福島から千葉まで避難してきて、やっと落ち着いた気でいたのに、また和歌山まで行くなんて無理、とも思いました。またもや現状維持心理が働きました。
 でも、母の家(公団)での生活が2日目に入って、この1畳半ほどの狭い空間に、長い期間4人で暮らすことは絶対に無理、ということも分かってきました。だからと言って、この柏の地で、母子家庭であることから最大限福祉施策を受けられるとしても、県営住宅や市営住宅の家賃は福島県川俣町の町営住宅より高いことは明らかですし、何よりも、この雑多で誘惑の多い都会で子供を育てたくなかったので、いつまでも柏にはいられない、と思いました。都会が嫌で自然の豊かな福島に行ったのに、都会で子供を育てるなんて私にとってはありえない選択でした。
 でも、「じゃあ、すぐに逃げよう。」と、踏み切ることはできませんでした。
 14日の夜は、友達から来た、放射能を体内に取り込むことを予防するためのメールなどのやり取りに終始していました(今思えば「安定ヨウ素剤の代わりにイソジンを飲め。」などといういわゆるチェーンメールもありました)。
 その晩、下の娘がひどい喘息になりました。13日に母の家に着いてから、少しでも暮らしやすいようにと片づけを始め、いろんな物をこっそりゴミ袋に入れたり移動したりしていたのですが、そのホコリに負けたのでしょう。娘は一晩中呼吸困難で眠れず、つらくて泣いていました。
 このことがあってから、私はいよいよ母の家にとどまることはできないなと感じました。

【3号機の爆発は核爆発(ピカドン)なのか?】

https://youtu.be/igD_I-VnkOE

ユーチューブの動画を観ると、3号機の爆発では、一度ピカっと炎が出た後、ドーンと黒煙がまっすぐ建屋上方へと立ち上っています。きのこ雲も確認され、また、建屋が吹き飛んだだけの1号機と比較して3号機は建物の鉄骨もぐにゃぐにゃに曲がってしまったことから、核爆発ではないかとという指摘がありました。
爆発の原因は、使用済み燃料プール内での爆発だと指摘されています。元原発検査員のF氏によると、「3号機の燃料プール内では、爆発が生じるまでに冷却水が少なくなり、水素が発生。上方の燃料被覆管が溶けて、中のペレットはブロック崩し状態。プール内が原子炉さながら、小出力で臨界状態となって水が沸騰したと思われる。そして、プール水面上方で水素爆発。その圧力で沸騰水中のボイド(水蒸気)が圧縮。一気に核分裂の反応度が高まり、即発臨界の核爆発が起きた。3号機爆発のスローモーションビデオを観ると、爆発音が3回聞こえる。これが、水素爆発の後に核爆発が生じた証拠だ。」「そこにあった燃料棒(プルトニウムやウラニウム)は飛び散ってしまったと思わる。」と推測しています。
この指摘は海外の専門家からもなされています。もしこの指摘が事実だとすれば、プルトニウムやウラン燃料があたりにむき出しに散らばっているのですから、大変な事態だと思います。しかし、この検証はきちんとなされておらず、住民は危険にさらされたままになっているのです。


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