替えのきかないもの
執筆者:平 一紘
2023年6月。
暑くなり始めた沖縄で子供向けの映画製作ワークショップ(以下、WS)が行われた。会場は米軍統治下の時代からアメリカ文化が色濃く残る沖縄市、コザ。主催は「ハイ祭~子供の居場所フェス~」の神保さん。
このフェスは沖縄の貧困家庭や環境格差で居場所を失った子供たちにエンタメを「作るとこから」体験してもらうというイベントだ。
講師は大森立嗣監督。WSを通して参加希望のすべての子供たちと一緒に映画を撮る企画。
僕は今まで3回ほどWSを沖縄と東京で行ったことがある。
それは僕が書いたWS用のオリジナル台本をみんなで面白く演じられるようになるまでひたすら楽しんで演じてみよう!と、ざっくりいうとそんな感じの内容だった。
今回のWSは劇作家サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」の一節を引用したものだった。しかし僕は(大丈夫なのか‥?)と始まるまで疑問だった。
参加者は小学校低学年から高校生‥全員同じ台本である。まだ国語の授業で「坊ちゃん」も読んでない子たちに不条理劇が理解できるのか?と思った。
始まってみると、殆どの子供たちがセリフは入ってない上に恥ずかしがっている。
無理もない。役者ではなく映画に興味のある演技初体験の子供たちなのだ。しかし、何度か読み合わせを重ねるうちに様子が変わった。
棒読みの演技が“お芝居”になってきたのだ。一体全体どんな魔法を使ったのかと、注意深く演出を聞いていると、ほとんどが子供たちの“緊張をほぐす”作業だった。
緊張が解けた子供たちは自分の呼吸で、セリフを話す。そして相手はリラックスしてその言葉を受ける。戯曲の言葉に意味は感じていないし、感じていても感じていなくてもいいのだろうとさえ思った。大森監督の演出は、子供たちがリラックスしたうえで発せられた自然な“何か”を大切に掬っていくような、そんな行為に思えた。
「替えのきかないものになる」と、大森監督は言った。
起伏が無くても、感情が爆発していなくても、寝てても立ってても笑ってても泣いてても喜んでても怒ってても。それでも自然体でリラックスして演技をする行為こそが、その人その人の個性と魅力の光るお芝居になっていくのかもしれない。
と、生徒よりも誰よりも僕が一番学んだWSであった。
僕はほとんど沖縄から出て映画を撮ったことがない。大学時代自主映画を量産、サラリーマン時代も業務終了後に映画を撮り続けた。
でも、ほとんどほかの映画監督の演出を見る機会も、ましてや一線で活躍する大森監督の演出を目の当たりにすることは無かった。
WSが終わり、コザの町で大森監督や神保さん、そして映画プロデューサーの村岡さんと飲んでいると、なんと他にも一線で活躍する技術部の皆さんが合流してきた。
沖縄でたまたま撮影していたのだという。
『ゲルマニウムの夜』の頃の思い出話を監督たちが同窓会の思い出のように話すのを向かいで聞きながら飲む酒は旨かった。
かつて映画オタクだった僕は、最近、やっと少しずつ映画の深い沼の淵の手前まで立たせてもらえている気がする。
そんな僕が監督を務め、大森監督が脚本を書く短編映画はこの夏沖縄で撮影予定だ。
ぜひ、2023年12月に開催される「ハイ祭」を観に来てほしい。
ハイ祭〜子どもの居場所フェス〜 映画制作ワークショップ
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