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sisiが20年経ちました。

バリ島で「オリジナルバッグ"sisi"」というお店をしています。

20年前の4/26にウブドの片隅で、ひっそり(のつもりも無かったのですが)開けたsisi一号店(Tebesayaにありました)。開店当初本当にだーれもいらっしゃらなかった。そりゃそうだ!誰も知らない場所で知らない人が知らないものを売っていて、SNSどころかインターネットもほぼなかった時代。

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*sisiのオリジナル商品なんて10個ぐらいしかなかった1号店。手前半分の漫画喫茶風コーナーにのみお客様が...笑える。

障害物競走のように、RPG(したことないのですが)のように次々とやってくるバリ島での笑える&笑えないハプニング。

突っ走って、足元を掬われ、小突かれ、助けられ、支えられ、勝手にひとりで滑って転んで、恨み節、歓び、かすめ取られ、その後に「神様は見てるのか?」と思うような救いがあり、一人考え、泣いて笑って...そしてやっぱり支えられ、減速したり暴走したりしながらの20年間でした。

20周年記念のなにか、なんかは今年に入ってからsisiではちょこちょこしてるのですが...
あんまり「何年目!」とかそういうのは苦手で、これも単なる「通過地点」だと思っているのですが、やはり何と言っても20年なのでちょっと書いてみようか、と。

バリが好きで、だけで「えいや!」と誰にも求められてもいないのに勝手に一人で来てしまった1999年。25才の初夏の頃だったと思います。

その辺のことは 以前取材して頂いたこちらの番組でいろいろご紹介いただいています。

数年前に亡くなった母方の祖母が(私のおばあちゃん)「尚さん、10年続かんことはホンモンちゃうで、10年やったらホンマモンや」と何度も私に言っていて、バリ島に渡った25の時は「10年続けたもの」など何もなかった私。

「いつか自分のお店(飲食店がしたかった)がしたい」と思って学生の時はアルバイト、そして仕事をしていました。

25だった私はお店の20年+1年で46才。仕事における様々なことは日本で基本の「き」を教えてもらったあと、ここで自分で七転八倒、それもほぼ笑いっぱなしの、で身につけてきました。 日本の常識とは違うことも多いでしょう。

どんなに辛い時も「ネタや、話のネタにしよう」とニヤリ、としながら乗り越えてきました。もちろん楽しいことも山盛りです。

月並みな言い方ですが、本当にあっという間で、でも、もう一回あそこからやり直す?と言われると内容濃すぎて「来世にしよかな〜」とも思います。でも、もちろん「絶対せなあかん」のなら、重い腰を持ち上げて「いっちょやったろか〜、ネタやネタ」とも思うのでしょう。

今のコロナのこの状況も「ネタやネタ」と思っている最中です。頭は抱えます、いじけてベッドから出たくないこともあります。でも、うーと言ってる間があれば「考えろ考えろ」と知恵を絞るのみ。

家族、知人、お客様、チームsisi、職人さんたち、私が直接知らない皆様にも支えられ ここまで来れました。おばあちゃんが言ってた「10年続けたらほんまもんや」の2倍やって来れました。

そして、同時にここが「単なる通過点」であり、私がしたいことの手段のひとつである、と思っています。今後 形は変われど、思い出して思わず「にっこりして」しまう存在になりたいな、と思っています。

厚かましいかな。

今後もどうぞsisiをよろしくお願いします。sisiの「そう来たか〜〜!わはは」とジタバタしてる様子を楽しみにしていてください。いつも血の通った「にっこして」もらえる存在を目指します。

あ、そうそう!sisiプンゴセカン店がお隣の"garden"(sisiが運営する複合施設)に夏に引っ越しします。

ありがとうございます🙏


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