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(一)Creator(創作者)

目次
(一)Creator(創作者)
(二)実戦的小説習得法
(三)小説家になる!!

(一)Creator(創作者)


 先日投稿しました「あなたも、3年でプロのシナリオライターになれる!!』(コンクール編)(売り込み編)(依頼・紹介編)三部作の小説家版です。それゆえ、シナリオライターと小説家の比較論になる場合がありますのでご容赦ください。
 シナリオと小説は表現形式が違うとはいえ、事実を追求するノンフィクションと違い、フィクション(虚構)というジャンルに分類される、人間や人生を描く、無から有を生む創作品です。ゆえに、私の場合、両方書けるので、宮本武蔵を“武芸者”と言うように、“Creator(創作者)”と、呼称することにしました。
「千日の稽古を鍛とし、万日の稽古を錬とす」と、宮本武蔵の『五輪書』にあるように、創作者の道も、武芸者同様、厳しい修業が必要になってきます。その覚悟のある者だけが、その道を極めることができます。
 旅行でも、修学旅行のように、あらかじめスケジュールが分刻みで決められていると、スケジュール通りに進めないといけないという強迫観念に襲われて、せっかくの旅行が面白くないものになってしまいます。それと同じ理屈で、このエッセイも、思いつくまま、気の向くままに、流れに沿って書き連ねていきたいと思います。
 シナリオのように、下手に構成をきっちり組んで書くより、その方が生き生きと書けるというものです。時と場合によって、創作物というのは、構成をきっちり組み立てて書くと、段取りになってしまって面白くないものです。特にエッセイとは、そうしたものだと解釈しています。あくまで、気の向くまま、筆の向くまま、徒然(つれづれ)なるままに----。
 
 小説とシナリオは、ルポルタージュや新聞記事、ドキュメンタリーのようなノンフィクションではなくフィクションなので、表現形式が違うだけで親戚のようなものです。この両方が書けるようになれば、Creator(創作者)としては、大きな武器になります。
 まず小説を書いて出版し、世の中の評価を受けて売れれば、テレビ局、映画会社、ネット配信会社から映像化したいとオファーがあります。そのとき、あなたがシナリオも書ければ、原作料だけでなく、脚本料も貰えますし、映像化されれば、それが宣伝となり、小説も売れるという好循環が発生し、ビッグビジネスに大化けします。監督もできれば、Creatorとしての活躍の場は、さらに広がります。
 ちなみに、黒澤明、木下惠介監督は、監督になる前は、助監督としてシナリオを書いていたので、シナリオライター出身と言えます。昔の映画界は、シナリオが書けなければ、監督にはさせてもらえませんでした。今は、シナリオの書けない映画監督が監督をしているところに、巨匠、名匠が生まれない原因があると思われます。
 シナリオライターから小説家になった人は何人もいます。直木賞作家・向田邦子、同・星川清司(市川雷蔵主演、映画『眠狂四郎』の脚本家)、江戸川乱歩賞作家・野沢尚(連続テレビドラマ『眠れる森』)さんたちです。
 アメリカでも、『ゲームの達人』『私は別人』『真夜中は別の顔』などの傑作小説を書いたシドニィ・シェルダンも、元々ハリウッドのシナリオライターでした。  
 しかし、小説家からシナリオライターになった人は、ほとんど聞いたことがありません。一度、某芥川賞作家が自らシナリオを書き、監督もしたら、ベテランスタッフらが、「芝居が全然書けていない。酷いシナリオだ」と、呆れ返っていたそうです。彼らスタッフは、撮影現場で巨匠、名匠と言われる監督のダメ出しを、身近で見聞きしているのでシナリオが理解できます。
 シナリオは、セリフが書けないと務まりませんが、小説はセリフが下手でも、地の文で描写ができれば十分務まります。シナリオは、プロ(プロデューサー、監督、俳優、カメラマン、照明、音声----等々)が読む物ですが、小説は、素人と言っては失礼ですが、一般読者が読む物という違いがあります。
 同じフィクションでも、シナリオは制約が多いので性格的に合わない人は、シナリオライターには向いていないようです。その証拠に、シナリオライターを目指してシナリオ教室に通ったものの、途中で見切りをつけて、小説に方向転換して成功した人は大勢います。古くは笹沢左保(小説『木枯し紋次郎』)、五木寛之(小説『青春の門』『蒼ざめた馬を見よ』『さらばモスクワ愚連隊』)、赤川次郎(小説『三毛猫ホームズの推理』『セーラー服と機関銃』)さんなどです。
笹沢左保氏(以下、敬称略)の場合----大映のシナリオ教室に通っていましたが、そこからは15人中、8人もプロになりました。が、彼はなれなかった。他のシナリオ教室など1クラス50人ぐらいいても、一人もプロになれないほどですから、驚くべき確率の高さです。
五木寛之の場合----テレビ局のプロデューサーに、何度もプロットを持ち込んでいましたが、とうとう1本も採用されませんでした。いつの間にか彼はそのテレビ局に足を運ばなくなり、数年後、小説現代新人賞に応募した作品、『さらばモスクワ愚連隊』が入選して小説家になりました。
赤川次郎の場合----時代劇のプロット募集に応募して入選し、何回もシナリオを書き直して提出するも、担当プロデューサーの納得する作品にならず、そのプロットは、プロのシナリオライターがシナリオを書き映像化されました。その後、小説の新人賞に応募した彼の作品が入選し、小説家に転向しました。
 この三人の大物作家が、どうしてシナリオライターになれなかったのか、私なりに分析すると、三者とも小説家として大成するほどですから、個性が強すぎたのでしょう。脚本作りは、プロデューサー、ディレクターとの共同作業、妥協の産物ですから、あまり個性が強すぎると打ち合わせなどで意見が衝突し、うまくいかないようです。更に、主演俳優がうるさ型で、脚本に口を挟む人であったならなおさらです。「船頭多くして、船、山に登る」の例え通り、空中分解してしまいます。それより、個性の強い人は、スタートからゴールまで、一人で書いて完走、完結する小説を書いていた方が、その強烈な個性、作家性が生かせるというものです。
 昭和40、50年代のテレビドラマ全盛期には、倉本聰、山田太一、早坂暁という、いわゆる“御三家”と呼ばれる個性的な脚本家の存在がありました。それゆえ、彼らの個性を反映した作家性のある作品、『北の国から』『岸辺のアルバム』『夢千代日記』など、ドラマ史に残る名作です。現在は、そういう作家性が失われて、どの作品も没個性で、既視感満載の、似たり寄ったりの作品になってしまいました。
 制作会社のプロデューサーに聞いた話だと、今は、プロデューサーが設定、登場人物をあらかじめ決めていて、シナリオライターに求めるものは、若い登場人物のセリフだそうです。それゆえに登場人物と同年齢の、若い女性ライターが重宝されます。
 シナリオは小説と違い、個人作業ではなく、プロデューサーやディレクターなどとの共同作業なので、そういうチームプレーが苦手な人は、向いていないようです。それにシナリオは注文仕事なので、依頼主の映画会社、テレビ局のプロデューサーからの仕事の依頼がない限り書かせてもらえません。企画が通る確率は、“センミツ”(千本企画を出して、通るのは3本だけ)と言われるほどの低さなので、持ち込み原稿はまず通りません。つまり、自分の書きたい物は書けないということです。それにせっかくシナリオ執筆の依頼が来ても、プロデューサーの注文通りに書かないと、すぐに他のライターに交代させられます。
 小説は感性だけで書けますが、シナリオは構成が大事なので、数学的思考、理性がないと書けません。数学的思考でも、方程式のような数字ではなく、鶴亀算、詰め将棋、幾何学のように、論理的思考ができないとだめのようです。私のシナリオの師である直居欽哉氏にも、シナリオライターは、論理と構成を売る仕事だと言われました。
 シナリオは頭脳ゲームなので、ある程度の頭の良さが必要となります。その点、小説は頭の良さより感性でしょう。
 私の経験からして、小説(感性)、シナリオ(理性)、エッセイ(知性)というところでしょうか。小説は描写が主なので、普通の感覚では書けません。そこにその人ならではの、独特の感性が必要になってきます。それに、下手に理性が勝っていると、理屈っぽくなって、面白さに欠けます。逆にシナリオは感性だけで書くと、肝心の構成がおろそかになって抽象的になってしまいます。エッセイは、何と言っても豊富な知識がなくては書けません。
 脚本家で映画監督でもあった新藤兼人さんに言わせると、シナリオは100%技術だそうですが、逆に小説の場合は、技術に走った小説ほどつまらないものはないと言われています。
 時々見かけるのが、その業界の専門家の書く小説です。例えば、エリート中のエリートである医者や弁護士の人が書く小説は、専門用語のオンパレードで、小説で一番肝心の人間が書けていない場合があります。つまり、登場人物がストーリーを運ぶための駒になっていて、生きた人物になっていないのです。
 それにその業界を知りすぎているために、「どうだ、オレの書く小説は、お前ら(読者)には分からないだろう」という、上から目線の小説になってしまいがちです。
 その点、私の最も好きな小説家である松本清張などは、労働者階級出身なので、志は高く、目線は低くというところでしょう。一般社会は、圧倒的に労働者階級が多いので、清張作品が昭和30年代に、社会現象を起こすほど爆発的ブームになったのも頷けます。
我々読者は、作者のご高説を賜り、説教をされるために小説を読んでいるわけではないということです。
 対照的なのが、三島由紀夫でしょう。彼もまた、医者や弁護士ではありませんが、日本で一番のエリートコースと言われている、東京大学法学部出身で、大蔵省入省というエリート中のエリートです。
 余談ではありますが、小説家のエリートコースは、早稲田大学中退という話を聞いたことがあります。その代表が五木寛之、野坂昭如です。
 尾崎士郎の小説『人生劇場』ではありませんが、早稲田大学の学生で、将来は小説家を目指していると言っている人たちは、卒業すると大手新聞社、出版社、テレビ局、広告代理店など、時代の花形であるマスコミ関係に就職する人が多く、現代社会の第一線の仕事ゆえ、社会的反応も高く、仕事自体が面白く忙しいので、小説など書いている時間はありません。
 それゆえ、小説家になろうという野心は、月日の経過とともに薄れていき、気がつくと定年退職を迎えてしまいます。定年後から小説を書いても、まず間に合いませんし、若い頃から職を転々として食いつなぎながら苦労し、なんとか書く時間をやりくりしながら書き続けていた人には追いつけません。
 小説家という、超狭き門をくぐり抜けるには、ハングリー精神が必須と思われます。
『青年は荒野を目指す。幸せに背を向けて』『豚は死ね、狼は生きろ』『痩せたソクラテスになれ』というところでしょうか。
 その典型なのが、五木寛之でしょう。大学中退なので、一流企業には就職できず、職を転々として生活費を稼いで食いつなぎながら、コンクールに応募し続けるしか世に出る方法はありませんでした。そしてある日、運命の女神が微笑み、その努力が報われて小説の新人コンクールに入選し、華々しく小説家としてデビューしていきました。
 彼は、コマソン、つまりコマーシャルソングの作詞家出身です。作詞家から小説家になった人は大勢います。野坂昭如、伊集院静(作詞家名・伊達歩)、阿久悠、なかにし礼----等々。
 こんな話を聞いたことがあります。
小説の新人コンクールに応募してくる最近の女性たちは、短大や4年制の大学出身者が多く、高学歴ゆえ、本も沢山読んでいて、教養、知識はそれなりにあり、作品としては、一定のレベルに達しています。それゆえに審査の一次、二次は突破するのですが、最終候補の5~10本の中には残らないそうです。
 日常生活で、幸せで満ち足りた生活を送っている人には、創作の女神は舞い降りてこないし、決して微笑まないということでしょう。
 学生時代に学業そっちのけで読書に励んでいた人、実社会に出てからは、人並み以上に苦労した人が、職業作家になっているようです。
 やはり、小説家として成功するには、松本清張、吉川英治、山本周五郎のように、実社会で揉まれ、苦労した人が勝ち組のようです。ちなみに三者ともに最終学歴は、小学校卒です。
 つまりは実社会で、「もう、勘弁してよ。こんな人生、もう嫌だ!!」というほど、何度も何度も挫折を味わい、どん底生活を経験し、よく他者を観察し、自分を見詰めれば、孫子の言うところの、『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』というところでしょう。
 
 話を基に戻します──。
人づてに聞いた話ですが、何故か、三島由紀夫は松本清張をよく思っていなかったそうですが、さもありなんと思われます。その原因はお二人の出自の違いでしょう。三島は農商務官僚の子息であり、一方の清張は労働者階級の子供で、三島と違い、世に出るのが20年も遅く、41歳のときでした。自身もエリートとは程遠い、正社員ではなく、今で言う非正規雇用者でした。
 松本清張は、82歳で亡くなるまで現役の作家でしたが、三島由紀夫は、清張がデビューした年齢に近い45歳で割腹自殺というショッキングな死によって、人生の幕を閉じています。
 三島は芥川賞のような新人賞は獲っていませんが、小説家となってからは、職業作家に与えられる賞(読売文学賞、岸田演劇賞、毎日芸術賞など)は、多数受賞しています。彼が一番欲しかった賞は、やはりノーベル文学賞でしょう。それを1968年(昭和43年)に、川端康成が先に受賞したのが、よほどショックだったようです。それが証拠に三島は、鎌倉の川端邸にノーベル文学賞受賞のお祝いに駆け付けたものの、すぐにタクシーで帰ったそうです。
 しかし、このノーベル文学賞には後日談があります。
 
『作家の三島由紀夫(1925~1970)が、1963年にノーベル文学賞候補としてスウェーデン・アカデミーに初推薦され、最終選考リスト一歩手前の候補6人の中に入っていたことがわかった。ノーベル財団が2日、公式サイトで発表した。ノーベル賞の候補者や選考過程は50年間非公開。その期間が過ぎたことから公開された。だが、「ほかの日本人候補と比べて優先されるほどの作家性がまだない」と判断され、3人の最終選考候補からは漏れたという』
~(2013年1月3日 朝日新聞デジタル配信より)
 
 その5年後の1968年(昭和43年)、川端康成が日本人として初めてノーベル文学賞を受賞するのですから、残念と言うか、人間の運命は分からないとしか言えません。
 もし、このときに三島がノーベル文学賞を受賞していれば、45歳という作家としてピークに差し掛かっていたときの自死は、回避されていたかもしれません。
 結局三島由紀夫の死は、日本国内の賞を多数受賞し、文学者として最後に残されていたものは、ノーベル文学賞ただ一つだったのかもしれません。それを川端康成に先を越されてしまって、文学者として目指すべき最後の賞であるノーベル文学賞という目標がなくなったことによる、バーンアウト、燃え尽き症候群による人生の終焉だったと思わざるを得ません。
 当時の著名な文芸評論家、小林秀雄が三島を評して、「三島由紀夫の目は、義眼だ」と、オフレコで言ったそうですが、確かに松本清張とは対照的に、実人生での生活苦の経験がなかったことによる、小説家にとって一番大切な、人間を見る目、人生、実社会を洞察する機会がなかったのかもしれません。
「花ざかりの森」で早々と19歳で作家デビューし、大蔵省に就職しても、わずか9ヶ月で退職しています。せめてあと10年、実社会を経験し、人間、実社会を見る目を養っていれば、神から与えられた天賦の才能があっただけに、もっとすごい作家になっていたことでしょう。  
 川端康成は、ノーベル文学賞を受賞した当時は、ほとんど創作活動をしていなかったので、ノーベル文学賞受賞は、作家人生のゴールでしたが、三島にとっては、単なる通過点でしかなかったに違いありません。
 ベテランの作家から聞いた話では、画家も小説家も、その人の代表作は、デビューして10年以内に書かれた(描かれた)ものだと聞いたことがあります。
 そう言われて私なりに検索してみると、確かに松本清張も、デビューした作品、『ある「小倉日記伝」』から10年後に書かれた『砂の器』までが、代表作と思われます。晩年に書かれ、田村正和主演でテレビドラマにもなった『十万分の一の偶然』などは、「う~む、いまいちだなあ。かつての切れ味がない」と思ったものです。
 小説ではありませんが、黒澤明監督作品も、僭越ながら、良かったのは映画『赤ひげ』までのような気がしないでもありません。復帰作の『どですかでん』などは、「おい、おい、おい。黒澤さんは、どうしちゃったんだ?」と思ったものです。『まあだだよ』に至っては、「もういいよ」と、口の悪い評論家が言っていたのを思い出します。
 俳優でも、日本の場合、欧米と違って親の七光り俳優が多く、実社会で苦労していないので、大成しない人が多いようです。俳優は、生活者を演じなくてはいけないので、実社会での経験、苦労が必須となります。しかし、親の七光り俳優は、実社会で苦労しないでいとも簡単にメジャーデビューするので、それが大成しない原因だと思われます。その点、欧米の俳優は、実社会を経験し、30前後でメジャーデビューする人が多く、年をとっても主役をやれる俳優が多いように思われます。スティーヴ・マックイーン、クリント・イーストウッド、トム・クルーズなどは、その典型でしょう。
 
「あなた、変わってるね」と、人から言われたら喜んでください。人と同じような発想では、小説家という特殊な職業にはなれません。
「よく、そんなことを思いつくね」と人から言われるぐらい、次から次にアイデアを思いつくようでないと無理です。
 連想ゲームのように、一つのキーワードに触発されて、富士山を水源とする柿田川の湧き水のように、次々とアイデアが浮かぶようでなくては小説家にはなれません。
 そのためにはどうするか? 子供の頃からの豊富な読書量が必要です。本を読むことが苦手で嫌いな人は、小説家になるのは、さっさと諦めて別の分野に進んだ方がいいでしょう。小説家になるのは、それこそ超狭き門なので、才能がないにもかかわらず、“小説家”という名の自由人、特殊な職業に対する憧れだけで首を突っ込むと、一回きりの人生を台無しにしてしまいます。
 以前、シナリオ教室に“ヤメ刑事(デカ)”、つまり退職した刑事が通っていましたが、在籍中に一本のシナリオを書くという課題がありましたが、とうとう一本も書けなかったそうです。
 それは、何故か? 刑事なら、我々一般人が足を踏み入れることができない犯行現場を経験しているから、実際の事件を題材にして、いくらでも書けると思われます。つまり、その人は、経験があっても、刑事の仕事が忙しくて読書経験が少なく、経験したことを文字に置き換えるという作業ができなかったと思われます。
 どんな大作家でも、日本語では素晴らしい作品が書けても、自分の知らない英語や中国語で作品が書けないことと同じ理屈です。
 小説家は、誰にでもなれるというものではありません。
『あなたも、3年でプロのシナリオライターになれる!!(コンクール編)』
 http://www.amazon.co.jp/dp/B0B9NX6JHL
でも書きましたが、一般社会でエリートと称される職業である医師、弁護士になるには、その気になって猛勉強し、難しい試験をクリアすればなれます。事実、日本の医師は、全国に30万人以上いますし、弁護士も4万人います。しかし、小説家は試験こそありませんが、こんなにはいません。試験があるとすれば、新人コンクールでしょうが、それを受賞する人は、ほんの一握りで、医者や弁護士のように、受賞したからといって、必ず職業作家になれるとは限りませんし、たとえ運よくなれたとしても、小説家だけで生活している人は、圧倒的に少数です。
 つまり、この世の中で、一番なるのが難しい職業といっても過言ではありません。小説家は、プロのスポーツ選手同様、実力が全てです。俳優、政治家、経営者のように、親の七光りは通用しません。

 (二)実戦的小説習得法 に続く

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