見出し画像

【無料記事】沢尻エリカさんへの贖罪

沢尻エリカさんが逮捕された。

私は沢尻さんとは、面識がない。

お仕事を一緒にしたこともない。

でも、彼女がまだ10代で、映画やドラマを同時にかかえ、とんでもなく忙しくしていた頃に、近くでお仕事をされていた方に別件で会った時のことをよく覚えている。

「沢尻は今日は、あそこ(ある県)で映画のロケだろ? で、明日には東京でまた撮影だろ? でまたその日に(…しばらくとんでもないスケジュール模様の内容説明が続いた)。何本も同時にやるって、台本も色々入れなきゃなんないし、自分の中に役が同時にあるだろ。切り替えも体も大変だって本人言ってたけど、言えばやるんだよ。で、やれるんだよ。そういう子なんだよ。あの子は。だから大丈夫なんだよ」

とのことだった。

非常に稚拙な表現で申し訳ないが、すごくびっくりした。

そんな超人がいるのかとも思ったし、そんなことをそこらへんに買い物に行ってるよって顔で話すその方にもそうだし。

ほんとうに大丈夫なんだろうか……と、一瞬思った。

でも、彼女のあのすごい演技力から存在感から美しさから、その方が言うように(大丈夫なのかもな)とすぐに思ってしまった自分を恥じる。

直前までびっくりしていたのに、彼女がまとう何か美しいもので心に蓋をするように(大丈夫なのかもな)と思ったのを覚えている。

芸能人だって、我々と同じ人間だ。

寝られなかったり食べられなかったり、いろんな人に同時になれといわれ、家にも帰れず働き続けたらとんでもない負荷がかかる。

その上、美しいままでいなければならないし、病気にだってなる隙も持ってはいけないのだ。

なのに私は、10代のひとりの女の子に対して、あの時(大丈夫なんだろうな)と思ってしまった。

沢尻さん逮捕後、テレビで、芸能界は、技術や才能より正しいことが条件で、社会人として正しいというのが、ステージに上がる最低条件だというようなことをおっしゃっている方がいた。

正しさは大切だし、今はそういう意見を持つ人も多いだろう。

それはそうなのだが……という常識的感覚と同時に私の中に浮かび上がった思いがある。

そこを言われるのだったら、10代の頃から「人として正しい環境」に置いてあげないとフェアじゃないということだ。

そういうことを言うと、じゃあ辛かったら薬物をやってもいいのかとか、大変なぶん芸能人は若くしてたくさんお金をもらっているじゃないかと言う人がいたりする。

そういうことじゃない。

普通じゃない、正しくない環境に置かれながら、正しくあれっていう状況にもやもやするってだけなのだ。

薬物とは雲泥の差ではあるが、加護ちゃんがタバコで芸能界にいられなくなった時もそれを思った。

沢尻さんの場合は薬物である上、大人になってからの出来事だから一緒にしてはいけないのはわかっている。

ただ、10代で超絶忙しい、普通ではない環境に置かれながら「大丈夫な子」だとまわりに思われながら、美しいままあらゆる人物になりたおしていたあの頃の沢尻さんを私はどうしても思い出すのだ。

あのあと

“べつに”

の時に(やっぱり大丈夫じゃなかったんだ)と思ったのを覚えている。

それから、いろんなところでいろんな沢尻さんを見るたびに、彼女の中の根本は解決していないんじゃないかといつも胸がざわざわした。

あるところでは誰かが、エリカはいつも家にドレスで遊びにくる、ドレスを普段着にするような女の子だと言った。

あるところでは誰かが、すごく気さくで優しいいい子だと言った。

あるところでは誰かが、とても威圧的な態度と取られてそれがすごく女優っぽかったと言った。

あるところでは誰かが、呑むといつも芝居の話になり「君は芝居の好きなおっさん」と言った。

どれも沢尻エリカだし、沢尻エリカではない。

……かもしれない。

彼女はいつも、その人の前で一番ドラマティックに見える自分を演じていたんじゃないかと想像してしまう。

それは彼女がそうしたいことだったのかもしれないし、何かの為だという気がしてならなかったのかもしれないし、それが最大限の誠意だったのかもしれないし。

もはや無意識でそうしていたのかもしれないし。

私が私の人生しか生きられれないように、それは誰もが同じであるように、沢尻エリカは沢尻エリカをやっただけ。

それは、存在しない自分を誰かの前で存在させ続ける作業。

「非透明人間」とでも言おうか。

そんなもう日本語としておかしな表現しかできない状態。

異常事態だ。

その先にあるのが薬物だったのか、異常事態の継続でそうなったのかと言われたらあくまで私の想像の範囲ではそうとしか言えない。

今私たちが知った最新の彼女がそうなのだから。

まわりから薬物のことを問われると

「これが私のライフスタイル」

と、言っていたなどという記事が出ていたが、それが万が一でも本当だったとしたら、あまりにもリアルで、自分の想像と繋がってしまい、悲しい。

もちろん、沢尻さんと同じような環境にいても、薬物なんてやらずに生き、素晴らしい才能を発揮している人もたくさんいる。

超人ではあるが、当然のこととなっている。

だから薬物をやっていいという話では決してない。

薬物はダメだ。

沢尻さんはダメなことをした。

ただ「沢尻さんの演技って本当によかったよね」とか「あの人の演技が好きだったんだ」とか「あの人の演技がもう一度みたい」とか「頑張って戻って来て欲しいな」とかさえ、うかつに口にしてはいけない空気は妙だと思う。

あんなやつを庇うのか! とか 薬物をやるやつを許すのか! とかすぐに言われてしまう、もしくは言われるんじゃないかと勝手にビクビクしてしまう。

この、全員が全員を見張っているような空気。

心を隠さなければいけない空気。

こういうところにも、何か、彼女の、もしくは彼女のようにしてはいけないことをした人たちをまた突き落とす、大きな落とし穴があるような気がしてならない。

それを、また勝手に落ちたなどとと言っていいのだろうか。

実際に復帰するとかそういうこととはまったく別に、それぞれが沢尻さんを好きだと言ったり美しいと言ったりする自由ぐらいはあってもいいし、それを沢尻さんがいつか耳にしたっていいだろう。

沢尻さんは薬物に手をつけたかもしれないが、沢尻さんは薬物そのものではない。

そして、正直、他人のしたことだ。

だから、いちいち何かいうのも、私も含め妙だとも思う。

ただ、それくらいの存在だったし、社会への影響力は大きいだろう。

だからこそ、社会への善意で復帰などいけないと言う人たちもたくさんいるのもわかる。

だからこそ、私はもう一度、沢尻エリカが見たい。

人間はこんなに変われるんだよっていう、彼女の一番得意な部分で、自分の人生を生きているところが見たい。

演じる彼女が一番見たいけれど、彼女が望まないならいっそ女優じゃなくてもいい。

本当の意味で「実在する沢尻エリカ」が見たい。

これは、あの時、10代の沢尻さんに

(大丈夫なのかもな)

と思った、贖罪の気持ちもあるのかもしれない。

贖罪しながら、私は今もなお彼女の魅力に期待し、何かを求めているのかもしれないと思うと、まるであの時の「沢尻は今日」とスケジュールをつらつらと語っていた人のようでこわくすらなる。

それでも書かずにはいられなかった。

沢尻さんが10代の頃、私が聞いたあの話は、世間話の範疇だったし、もちろんあの時、私は何かできた立場ではなかった。

でも、心に蓋をしたことはずっと引っかかっていた。

「べつに」

の時に(大丈夫じゃなかったんだな)と思ったのに、また蓋をした。

こんな蓋、沢尻さんの知らぬところであり、私のひとりよがりではあるが、私の中でどうしても告白しておきたかった。

今、もう蓋はできないと思った。

++++++++++
『ここでしか書かない内緒話』いろんなエッセイやコラムが入ったマガジン
『なんでそんなに若いの? 美容法教えます』自信アリな好評美容マガジン
++++++++++


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?