産む、産まない、産めない、産みたくない

はじめましてこんには。

これからの人生の選択について悩む、30代半ば、会社員の主婦です。

この文章を書こうと思ったのは、ほかでもなく、私自身が今後の人生に子供を望むのか、子供のいない人生を望むのか、答えを出すべく、日々悶々と暮らしているからです。

私は、約5年間不妊治療を行い、今は一旦治療をやめています。

昨年からのコロナ禍をきっかけに、通院することにためらいがあり、ならば一旦やめよう、といった理由です。

そして、通院をやめてから約1年半がたち、その間に私の中での気持ちが少しずつ変わっていき、その変化に自分自身も戸惑い、悩み、時には苦しい気持ちになっています。

不妊治療をやめると、通院から解放され、それはまた私の心の中の何か別なものの解放にもつながったように感じました。

そして、そもそも私はいま、子供を望んでいるのか?子供を望むということが当たり前だと思っていた価値観から、子供を望まない生き方というものを選択してみたい、という気持ちがむくむくと育っているような気がするのです。

生物上の女性として生まれ、出産適齢期といわれる年頃に婚姻関係を結んでいると、周囲からは当たり前のように子供をもつことを求められる気がします。

周囲というのは、親族、友人、同僚だけではなく、テレビやネットニュースでも、少子化を防ぐべく、どうしたら女性たちが出産しやすい世の中になるのか、こういう制度を作れば出生数を増やすことができるだろうといった議論などで溢れ、社会の風潮として、子供を出産するように促されている事実はあると思います。

今現在子供がおらず、夫婦二人で暮らしていても、私のように不妊治療をしているorしていたという経験があると、何となくですが、まだ周囲のそういった目を納得させることはできます。

「ああ、この人は子供を望んでいたけれど、それが叶わなかったんだ」という落としどころで、それ以上踏み込まれることをはなくなります。また、独身の方やパートナーとなる男性がいない、という立場であれば同様に不用意に立ち入ってくる人たちは少なくなるでしょう。

でも、夫婦でありながら「最初から子供を持たないと決めている」人たちの中で、はっきりとその意思を伝えられる人はどれくらいいるのでしょうか?

もちろんそんなことは、いちいち声に出して言う必要はありません。けれど、「子供を持たないと決めている」という意思表示をしないと放っておいてくれない人たちも沢山います。

どれほど、「当たり前」という価値観が、知らず知らずのうちに誰かを追い詰めているのか。生物学上、女性として生まれ、出産することができる機能を体にそなえていながら、産まないという選択をすることは、時代が変わったと言えど、非難を受けることが多いのは事実です。

「どんな選択をしたっていいじゃん。自分の人生なんだから。」

その一言では、なかなか周囲は納得しないでしょう。

子を持つことで得られる幸せ、子を持たなくても得られる幸せ、どちらを比べるでもなく、それぞれがそれぞれの人生のことだけを考えて生きる。

それだけじゃダメなのでしょうか?誰もが社会のために子孫繁栄をなしとげなければいけないのか。また、それは本当に社会のためなのか。

日々、自分の中でまとまらない想いと、今日も過ごしています。


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